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「先生はなぜ起こすんですか」と放ったタクヤくんから学んだこと

こんばんは。やまね(@yamanebass)です。
昨夜、いつもより2時間遅く寝たら案の定不調の本日でございます。

さて、今日はこころに残っている言葉について書こうと思います。

タクヤくんて誰ぞという話ですが、タクヤくんはわたしの高校のときの同級生です。ちなみに仮名。

彼は視点が面白く、勉強していたら急に「炎って面白くない?」と炎の素晴らしさについて話し出すような人なんですよね。

あと、よく先生に「これって違うんじゃないですか」ときちんといえる男の子でした。

そんなタクヤくんが放った言葉の話。

オーケストラで寝ている生徒を起こす先生にタクヤくんは

とある春のこと。全校生徒が体育館に集まり、外部から来てくれたオーケストラの演奏を聴く機会がありました。

しっとり流れるように響く音楽が心地よく、長時間座っている昼さがり。

α波がただよい、重たくなったまぶたが視界を闇にさそいます。

特に高校生なんて携帯で深夜まで友人とメールしたり、好きなテレビ番組をみたりしています。そこにご飯後なんて条件が加わったら、もうね。

こっくりこっくりする生徒がちらほら……。

そんな頭が稲穂になる生徒を先生が後ろから起こしにくるんですよね。

例のごとく眠っていたタクヤくんも、先生に「タクヤ起きろ」なんて言われて起こされたわけです。

その場では仕方なく起きていたタクヤくん。

ですが、教室に戻るなり先生にこんなことをいったのです。

「先生はなんで起こすんですか?クラシックの楽しみ方は人それぞれじゃないですか」

続けて、こうも。

「ゆっくり聴き入る人がいれば、音楽を聴いて気持ちよく眠るのもクラシックの楽しみのひとつなんじゃないですか」

タクヤくんの言葉から学ぶもの

タクヤくんの言葉は印象的で定期的に思い出します。もう10年以上も前のことなのに。

歳を重ねるにつれ、タクヤくんの考えって本当にそうだなと思うのです。

何かを見て、「こうしなきゃいけない」「こう感じなきゃいけない」と人は思うでしょう。

また、「こうであるべき」みたいな大きな流れに乗れば楽です。

だって自分で考えなくてもいいから。

でも、本来アートって自由なんですよね。

美術館ではじっくり見ながら回ってもいいし、サクッと興味あるものだけ見てもいい。

ライブでは前で拳を突き上げてもいいし、後ろでゆーったり見てもいい。

拍手してもいいし、しなくてもいい。

ひとつの作品を見ていろんな感じ方があるのが本来のアートだなぁと個人的には思います。

だからいまになってタクヤくんの言葉にはすごく納得できます。

30歳も過ぎたいま気づくことを、タクヤくんは高校生でもう気づいていた。そして、きちんと言葉にできている。

なかなか面白い人だったなぁ。

自由に感じ取って自分なりの最大限の楽しみを

なんたって大衆化された社会ですから、多くの人が持つような感想をなぞってしまいたくもなるときがありますよね。

「本当はこう思っているのだけれど……」なんてことを飲み込んでしまうこともあって。

けれど、みんな感じ方が違うから面白い。

だから自分が気づけなかったことも人から教えてもらえるような経験がある。

そんなことを、先日ライブへ行きぼーっと思い出したので今日という日に形にして置いていきます。

おわり

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