自由に演奏のできるオケってないの?
これまでに私はオーケストラ関連の本を2冊出している。
「オーケストラとは何か(新潮選書=新潮社)」「オーケストラの秘密(新書=NHK出版)」。
オーケストラってそもそも何から出発したの?途中に何があったの?
そして今はどうなってんの?に至るまで、自分のリサーチや体験からオーケストラに関する「知りたい」をいろいろ語ったつもりだ。
自分もかつてアメリカでその一員だった時期もあるし指揮者もやってるけど、根本的に疑問なのは、自分の目の前にある楽譜をどれだけ忠実に演奏しなきゃいけないのか?ということ。
まあね、これって別にオーケストラだけに限った話じゃないけど、そもそもクラシック音楽がどれだけ「自由なのか?」ということに関わる問題。
クラシック音楽は全然自由じゃなくって、それ以外の音楽はみんな自由!
っていうような二元論だったら話は簡単なんだけど、私は「そんなわきゃあないよ!」と思ってる人間なので、この境がよくわからない。
先日、配信(アマプラ)で『サウンドブレーキング~レコーディングの神秘』というドキュメンタリー映画を見ていたら、ビートルズの傑作アルバムの一つ、『リヴォルバー」と「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」のメーキング映像があった。
その中で名プロデューサーのジョージ・マーティンがレコーディングに参加していたオーケストラのメンバーに語っていた言葉が(オーケストラという存在を象徴的に表していて)とても印象的だった。
「隣のプレーヤーの音を聞くな!」
「自分らしい音を出すように!」
「他人と同じ音符を奏でたら、それは間違いだ!」
これらジョージ・マーティンのことばを聞いてオーケストラのメンバーは、鼻でせせら笑ったという。
そりゃあ、そうだろう。
クラシックの演奏家たちが教育されたこと(というか、信じていること)と真逆のことをマーティンは要求していたのだから。
「オーケストラメンバーが自由に演奏する?」
じゃあ、逆に、聞くけど、クラシックの人たちって全然自由に音楽できないの?
自分たちのやりたい音楽、出したい音、っていうのはないの?
確かに、クラシック音楽では(特にオーケストラでは)、「演奏の自由」などあり得ないと思われている。
でも、なぜ?と思う。
クラシック以外の音楽では「自由な演奏」が許されて、クラシックではそれが許されないの?
つまり、クラシック音楽とそれ以外の音楽は、音楽そのものが違うわけ?
そんなはずはないだろう。
クラシックだろうとロックだろうと民族音楽だろうと、「音楽は音楽」。
そこに違いなどあろうはずがない(と私は信じている)。
現に、このオーケストラ(どこのオケかわからないけど、スタジオミュージシャンではないようだ)が参加したビートルズの『A day in the life』のレコーディングは成功し、この曲も世界的な大ヒット曲になったじゃないか。
何十人もいるオーケストラの人たちがみんな自由に演奏したら(収拾がつかなくなって)パニックになるとでも思っているのだろうか?
そもそもprimitiveな種族の人たちが自由に演奏したり歌う時、全員勝手にバラバラやっていたとしても「(不思議と、自然に)調和して、ハーモニーができていく」ことは、人類学的にも証明されていること。
それがなんでクラシックでは許されないの?
チャーズル・アイヴスが交響曲の中でメンバーを2つにも3つにも分けて演奏させたのは、この「自由さ」をオケに与えたかったためじゃないの?
でも、きっと、これって演奏家(音楽家)のレベルの問題なのかもな?とも一方で思ったりする。
ある一定のレベルを突き抜けた音楽家は、何をやらせても本当に「自由さ」を獲得している。
楽譜にしがみついているレベルの音楽家に一体どれほどの音楽ができるというのだろうか?
だとしたら、それこそ最高級レベルのプレーヤー(スキル的な意味だけじゃなく)ばかりのオーケストラに「自由な演奏」ができないはずはないのにな、と思ったりもする。
そんなオケを作るのが長年の夢でもある。
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