https://www.youtube.com/watch?v=c66uGCSoBuA 以前ポリトーナル音楽(多調音楽)やポリリズム(いろんなリズムが組み合わさっている)音楽が大好きだという話をしたことがある。その先駆者がアメリカの作曲家チャールズ・アイヴスだという話もした。 なぜアイヴスが好きか? それは簡単な理由。 音楽は何よりも自由でなければならない、と私は信じているから。 しかし、彼よりも誰よりもポリトーナルで自由な音楽を作っていた人がバロック時代にもいた。
イージーリスニング音楽というのは、最近あまりメジャーではない。 かつては、音楽シーンのど真ん中にいた時期もあったのに「今は昔」的な扱いになって久しい。 でも、これって、「ナゼ?」 一つの理由は、イージーリスニングということばの定義が曖昧だということ。 でも、それよりも何よりも音楽シーンそのものがこの数十年で大きく様変わりしてしまったことの方が大きいのかもしれない。 「人はなぜ歌を歌うのか?」 これは、人類にとって大きな命題の一つだが、人間にとって音楽というのは、一体どうい
作家の石川好さんが一昨日(8月19日)に亡くなったと、友人からのメールで知った。 すぐにググって確認すると、確かにそんな情報が転がっていた。 そして、彼の奥さんに電話した。 彼の名前を、TV朝日の番組「朝まで生テレビ」で知っている人、あるいは、大宅壮一賞を受賞し映画にまでなった小説『ストローベリーロード』の作者として認識している人など、様々な分野で活躍した彼との出会いは人さまざまだろうが、私にとっての石川好という人物は、「もし、この人との出会いがなかったら、私の今の人生はナ
これまでに私はオーケストラ関連の本を2冊出している。 「オーケストラとは何か(新潮選書=新潮社)」「オーケストラの秘密(新書=NHK出版)」。 オーケストラってそもそも何から出発したの?途中に何があったの? そして今はどうなってんの?に至るまで、自分のリサーチや体験からオーケストラに関する「知りたい」をいろいろ語ったつもりだ。 自分もかつてアメリカでその一員だった時期もあるし指揮者もやってるけど、根本的に疑問なのは、自分の目の前にある楽譜をどれだけ忠実に演奏しなきゃいけないの
「障害者は感動ポルノ」ということばは、オーストラリアのコメディアンでジャーナリストのステラ・ヤングさんが最初に発したことば。 (TED動画) https://www.youtube.com/watch?v=8K9Gg164Bsw 今さら「感動ポルノ」論争に火をつけるつもりはないけれど、そろそろ(問題だらけだった)パリオリンピックも終わり、パラリンピックが始まろうとしている時期なので、改めてこの問題を考えてみたくなった。 通常のTVの偽善的な障害者報道(報道だけでなくバラエ
この言葉は、デンマーク映画『バベットの晩餐会』に出てくる。 十九世紀末、ノルウェーの貧しい漁村に住んでいる二人の姉妹。 この姉妹は、父が厳格なルター派教会の牧師で、父亡き後教会を守り村の人たちの監督牧師の役を引き受けて細々と暮らしている。 そこに住み着くお手伝いさんの名前はバベットさん。 もともとはフランスの三ツ星レストランの一流シェフだったバベットさんだが、1871年のパリコミューン騒ぎでフランスを追われこの北欧の片田舎まで流れ着き姉妹の家の家政婦として働くようになる。
私がこんなタイトルの新潮選書を出したのが、2003年。 およそ20年も前のことになる。 自著としては何冊目だったのだろう? 選書は5冊出しているが、多分、これはその5冊目だったはず。 ただ、この著作が、私の中では一番心残りになっている。 私の選書は、大学や高校中学などの国語の入試問題(メインの長文読解で使われる)にこれまで何度も使われてきたが、この著作だけは今でも入試問題でよく使われている。 きっと(入試問題を作る)大学の先生には参考にし易い文章なのかもしれない(このタイトル
フルートと指揮のダブルメジャーだったアメリカの大学院時代。 ある時、レッスンで指揮の先生から、ストラヴィンスキーの楽譜を渡された。 タイトルは忘れたけど、管楽器が13種類ぐらいあるスコアで、小節ごとに拍子が変わっている。 「え?これを初見で触れってか?」 3/8、5/4、13/16、4/4,….. 小節ごとに目まぐるしく拍子が変わるので、当然「棒の振り方」も変わる。 しかも初見。 いかにもストラヴィンスキーらしいスコアだった。 まるで『春の祭典』を思わせる。 とは言っても、
多くの人は「即興演奏」について誤解している。 こう考えるとわかりやすいかもしれない。 私たちは毎日「即興」で生きている。 だって、朝起きてから夜寝るまでの間、決められた台本通りに行動し、台本通りにことばを発している人なんか一人もいやしない。 次の瞬間に何が起こるか分からないのが人の人生なのだから。 だとしたら、次に「何をやり」「どんな人と出会い」」「どんなことを喋るのか」、すべて「即興的」に瞬間瞬間を生きていくしかない。 そう。 私たちは、どんな瞬間も即興で生きているのだ
yamanekousagiの思い出 1969この文章を読まれる方へ; これは、書き手である私(みつとみ俊郎)の「自分史」でもありませんし、エッセイとかその類の文章でもありません。 プロ音楽家・ライターである私が、画家で詩人の新見恵子という女性と出会い、以来恵子の死までの54年間、二人が生活を共にしてきた時間の記憶であり、「こういう夫婦生活や生き方もあるのか」という一つのサンプルとしてお読みいただければ幸いです。タイトルの「ヤマネコウサギ」とは、彼女が私のことを「ヤマネコ」と呼