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田舎の深刻な少子高齢化について(2024.12.10)

以前住んでいた妻の実家のそばはかなりの田舎だった。少子高齢化と過疎化が進んでいて、そのへんを歩いていて出会うのはトボトボ歩くお年寄りか、野良猫ばかりだった。

私と妻が出会った15年くらい前はまだ盛況だった地元のお祭りも、みるみる高齢化が進み、かつてはワッショイワッショイ若い衆が担いでいた神輿も、年輩の方々がリヤカーでコロコロ曳いていくようになってしまった。

毎年お盆の時期にやっていた盆踊り大会では、その年に亡くなった故人の遺影をずらっと並べて皆で追悼していたのだが、年を経るごとに遺影の数が増していき、やがて盆踊りの参加者を越えるのではないかという勢いだった。

そのうちコロナもあって、運営していた自治会(という名の老人会)が、盆踊りをしようという気持ちと体力を失ってしまい、真夏に小学校(廃校済み)の運動場で楽しくやっていた盆踊りはついに今年で途絶えてしまった。

地方中枢都市であるとか、いわんや東京などにいると「少子高齢化」というのが実感できないかもしれないが、実態は深刻だ。妻の母は地元で民生員をしており、高齢者の寄り合いやスポーツイベント(グランドゴルフやスカットボール)のお世話をしているが、妻の母だって立派な後期高齢者。いつも「若い人が入ってこない」と嘆いている。高齢者が高齢者の面倒を見ている実態がある。

過疎化に伴い空き家問題も深刻だ。かつては活況を呈していた商店街も半分以上シャッターが閉まったままだし、体感としては、人の住んでいる家よりもはや空き家の方が多い。家主はとっくに引っ越すか、どこかに入所して相続は有耶無耶になってしまう。

そんなだから辺りが悲壮感に覆われているかというとそうでもなく、緩やかな衰退を明るく受け入れているように見える。「どこどこの誰さんが死んだ」という話題を日常的に、茶飲み話程度にあっけらかんと話している。

自治体もけっして手をこまねいているだけではなく、色んな対策をしてくれているようには思う。しかし少子高齢化の波は圧倒的で着実だ。いずれ全てを呑み込んで、田舎は人の住まない土地になると思う。子どもからお年寄りまで皆が都市部に集まって、肩を寄せ合い慎ましく生きていく未来はすぐそこだ。

私達家族がかつて住んでいた家のすぐそばにあった中学校は現在全校生徒で15名しかいないそうだ。当然先生の方が多く、あと少しすれば廃校となって、地元の中学生は遠くのでかい小中一貫校に通わざるをえないだろう。

私達はそんな環境よりも多種多様な子どもたちのいる環境のほうが子どもにとって良いだろうと考え今の場所に引っ越した。相変わらずお年寄りと野良猫は多いが、それ以上に子どもが多く、並び立つ家々から子どもたちの笑い声や泣き声が聞こえてくるのはとても良いもので、生きる活力に直結する。

以前住んでいた田舎の、夜の深さと濃密さも好きではあったが、夜が更けても明るい声がそこかしこから聞こえてくるのは有り難いことだ。

という、少子高齢化の現実的な手触りについて書いてみた。何か自分達でできる事があるかもしれないが、とりあえず普段考えている事を少しまとめてみたいと思った。

また折を見て田舎が抱える問題とそれに対する取組みについて書いてみたいと思う。

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