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新「外見オンチ闘病記」~22歳初めての入院、重苦しい脳腫よう病棟へ

”悪友”アクロメガリー

わたし(山中登志子)は、2つの指定難病(アクロメガリー歴40数年、拡張型心筋症5年)患者です。

脳腫瘍と心臓の病のわたしがたどり着いたのは「あきらめない、闘いすぎない」生き方。そんな私流闘病記&終活話 + 両親の介護話を綴っていきます。

アクロメガリー (Acromegaly)は 「先端巨大症」とも呼ばれ、脳下垂体にできた腫瘍から出る過剰な成長ホルモンが、手、足、鼻 あごなどからだのあちこちを大きく成長させる病気です。ホルモンの司令塔のこの疾患は、頭痛、糖尿病、高血圧、高脂血症、心不全、睡眠時無呼吸症候群、無月経、倦怠感などの合併症や症状を伴います。

勝手にわたしのところにやってきたアクロメガリーのことを”悪友”と呼んで、つきあっています。その”悪友”との出会いの話、2回目です。

尿にたんぱくが出ていることで近くの病院に検査に行ったら、「すぐに検査入院を」と言われ、1カ月の中国旅行から帰った翌々日検査入院することになりました。大学3年の春のことです。


初めての入院

中国旅行で使っていた歯ブラシ、タオルなどをそのままバッグにつめて検査入院をしましました。

入院保証金3万円を支払いました。1988年(昭和63年)はまだそんな時代でした。

案内された病室は8人部屋で、おばあちゃんばかりでみんなつきそいがついていました。

「ひとりで入院?」
「田舎が山口だから親は来ません。それに検査入院だけだから」

「えらいわね。でも、元気そうなのに、どこが悪いの?」
「朝の検査が早いから入院しているだけで、元気なんですけどね」

「家も近いから、朝から来てもいいですか?」と聞いたら、「検査も朝早いですよ。入院しないと難しい」と医師から言われていました。

中国で自由満喫だっただけに、これから10日間、この空間に縛られるかと思うと気分がすごく重たく感じていました。人生初の入院です。

入院初日。心電図と胸の写真を撮って採血。胸、お腹、眼、舌などを診てもらい、おしっこもとりました。ポラロイド写真で手、足、前と横の顔の写真を撮られました。なんで、そんなに写真を撮るのか不思議でした。

4月なのに東京に雪

入院2日目。4月なのに珍しく雪が降りました。

朝6時から採血。おしっこは濃縮されていて色も濃いことを知りました。尿の濃縮に関係する抗利尿ホルモンも脳下垂体と関連していることは、このときはまったく知りませんでした。

両足、横から見た足、手のレントゲン撮影。頭、横向き頭の撮影、頭のCT(コンピュータ断層撮影)画像を何枚も撮りました。腕が針穴だらけになるほど数時間ごとに採血。寝る前まで採血が繰り返されました。

何度も何度も注射針を指すので、腕が痛くなってきました。

今では針を刺したままでの採血になりますから、患者の負担もずいぶん少なくなってきたと思います。

こんな状態では、たしかに近くても通院は無理でした。

3日目。清水先生がCTの写真、頭の輪切り状態を見ながら、「大学病院の脳外科の先生にも見せる」と言いました。

――脳外科? 頭なんてぜんぜん痛くないのに。

なぜ、頭と結びつくのかまだピンときません。

入院ベッドで迎えた22歳

22歳の誕生日ーー。

早朝から時間ごとに採血。ホルモン検査だと言われました。血糖値が高く、糖尿病食に替えられて、なんともわびしい、ひとりぼっちの誕生日になりました。

中国に一緒に行った友だちが驚いて、お見舞いに来てくれました。病気のことも入院のことも、旅行中に話しませんでした。心配をかけたくないというよりも、わたし自身、病気のことがまるっきりわかっていなかったからです。

中国旅行でのわたしはどれもとげとげしい顔をしています。かわいい中国人の赤ちゃんと一緒に写った写真もごつごつした顔で、あごもぬーっと出ているそんなスナップ写真ばかり。おまけによくふとっています。

中国旅行の写真(1988年3月)。
あごも出て容貌も変化し、手も大きく肥大している。
まだ病気がわからず、太ったからだと思っていた。

小豆大の腫瘍が頭に

検査入院も終わり、清水先生が岩国の実家に電話を入れてくれました。

「娘さんの頭に小豆大の腫瘍ができています」

電話をとった母は、清水先生がわざわざ電話をしてくれたのは、相当悪化しているのではないかと思ったそうです。

「先生、悪性ではないですか?」「術後の影響はないですか?」と尋ね、「大学病院での検査結果が出たら、東京に伺います」と言って、母は電話を切りました。

医師から「脳腫瘍ができています」と宣告されてしまいましたが、テレビドラマで見るような、主人公が医師から脳腫瘍を宣告され、ガーンといった重苦しい感じはありませんでした。

情報難民だった稀少疾患

「頭の手術になる」と言われてもそれほど驚かなかったのは、母が病気について調べてくれたことを電話や手紙で教えてくれていたからです。

ちょうどその頃、母が働いていた国立病院で同じ脳下垂体腫瘍患者の手術があり、開頭ではなく上口唇下を切開する手術だということ、手術で使用する機械のことを脳外科の医師から聞いていて、脳腫瘍でも、良性の腺腫だということ。以前、母自身もそのオペについたこともあって、そのときのことを思い出しながら、ていねいに、ていねいにわたしに教えてくれました。

「手術してとってしまえばよくなる」と母は言い、情報が入るたびに電話で「大丈夫よ。よくなるから」と繰り返しました。

あの頃はまだネットもなく、もちろん患者会もなく、情報は図書館、知人の医療関係者からの情報が主でした。

特に、稀少疾患にとって情報難民だった時代です。

そして、大学病院の脳外科に紹介状を書いてもらって受診後、ゴールデンウィーク後の入院日が決まりました。1988年のことです。

とまどった「がんばって」の励まし

大学と友だちに病気のことを伝えてみても、見た目もふとっていて、顔は面疔だらけ。元気そうなので、これから頭の手術だといっても、ぜんぜん説得力がありません。

「がんばってね」と話すたびに、みんなからそう言われて、そうか……わたし、がんばらなくてはいけないんだと思いました。

そんなにまじめな大学生でもないのに、思いっきりさぼり癖がついている学生なのに、通学できないとなると大学に行きたくなるから不思議なものです。

暗く重たく感じた脳外科の病室

1988年5月19日、大学病院へひとりで入院しました。脳外科病棟の看護婦さん(当時)から「しっかりしているわね」と言われたのを覚えています。
 
これは、小さいときからいつもわたしに向けられたことばで、両親にも、親戚にも、近所の人にもいつも言われてきました。

案内された8人部屋の病室に入ると、頭がつるつるの女性、頭に包帯をした女性、横たわった女性が眼に入ってきました。起きて歩いている人は誰もいません。

消灯時間になって、暗くて静かな中、「うーうー」といううめき声が聞こえてきました。寝返りを何度も何度も打っても、まだうなる声がします。けっきょくその日は眠れませんでした。

入院2日目。MRI(MRイメージング、磁気共鳴画像診断)を撮るため、千葉の病院まで一人で出かけました。当時、MRIも大学病院にはありませんでした。

「眠れなかった」と伝えたわたしを心配してくれた看護婦さんのはからいで、4人部屋に転床、移動することになりました。

はじめて出会った脳腫瘍患者たち

4人部屋に移って、隣のベッドの女性が「ど、ど、どこが悪いの?」と声をかけてきました。

「頭に腫瘍ができたんで手術するんです。でも、口から手術するんです」

「口から?  あ、あっ頭の手術でしょ?」

「そうみたいです」

「………わ、わたしはこれ」とかぶっていた帽子を脱いで、頭の縫い目が見せてくれました。うっすら髪の毛が生えてきています。脳腫瘍患者と話したのは、そのときがはじめてでした。

「わたし、頭が痛いから夜中にね。で、で、でんぐりがえりし、していた、いたんですよ」

ちょっと口がもつれている感じで、だんなさんが毎日来ていました。結婚して間もなかったみたいで、自分が病気したことをとてもすまなそうに話しているのが聞こえてきたのと、お姑さんにもとっても気を遣っていました。

入り口側に水痘症の赤ちゃん。のぞき込むのがちょっとつらかったです。

その隣が静岡から来ていた小学生のなおちゃん。お母さんが24時間ずっとつきそっていて、「こんなもの食べたくない」「あれを買って」とわがままいっぱいで、じ~っと相手を見る眼が印象的な甘えんぼうな女の子でした。

「ここに傷があるんだよ」

なおちゃんは、髪をかきわけながらその開頭した手術跡を見せてくれました。

あらためて、わたしは脳外科の患者、脳腫瘍患者なんだと実感しました。

また家族はお見舞いではなく、つきそいだとそのとき思いました。病気になったことでその後、家族をより感じることになります。

手術が1週間後に決まりました。(アクロメガリー「発病編」3回につづく)


わたしの闘病記を読んでいただき、ありがとうございました。

この闘病記は現在、以下のような構成を考えています。

難病闘病記 ~ 脳腫瘍&心臓病のわたしからぼちぼち「終活」 構成(予定)

くわしくは「脳腫瘍で心臓病でも『あきらめない&闘いすぎない』」をご覧ください。

*順不同で書いていきますので、タイトル、通し番号で確認してください。
*自著『外見オンチ闘病記~顔が変わる病「アクロメガリー」』(かもがわ出版、2008年出版)に加筆した記事は無料で、大幅加筆、新記事については有料でお届けします(予定)。
*息切れせず、週1回はアップしたいです(宣言)! 土曜日更新予定。


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山中登志子 / 編集家&美容師(ヘナ染め専門)「顔が変わる」アクロメガリー患者
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