ペヨトル興亡史Ⅱ⭕カフカ◉弟◉病院にて
⭕カフカ◉弟◉病院にて
Kが病院に到着したのは、遅い夕方の時間だった。母親は見るからに弱々しくベッドに横たわって、浅い息を重ねていた。大丈夫だ。何となくだけどそう確信した。音を立てないようにして母親の寝姿を見ていた。だいぶ小さくなっちゃったよな。母親の寝姿を見るのは久しぶりだ。思ったほどやつれていない。そう自分に言い聞かせた。大丈夫だ。もう一回繰り返した。
誰かが、Kを陥れたに違いない。何も悪いことをしていないのに。その日を境にすべてを失うことになったのだ。母親と実家と財産と。Kは鬱になりギャラリーを放棄し引退した。けれどもKはそのときそんなことなるとは気がついていなかった。ただただ母親のことしか考えていなかった。暑い、初夏の日に入院した母親を見舞った日に、カフカで言うところの[判決]のプログラムが始動したのだ。トリガーが引かれたのだ。本当は何年も何年も前に設定された、もしかしたら父親が死んだ頃から用意されていた、時限の長い起動装置のついた[奸計]だったのだ。Kはこのときそれを全く知らなかった。
母親の寝姿は、ほどなく、母親の母親、つまり祖母の最期の寝姿を思い起こさせた。Kはベッドの脇に立ったまま茫然としていた。その感覚が蘇った。母親と祖母は、若干体形も雰囲気も違っているが、今、こうして痩せ細ってベッドに横たわっていると、三木成夫の言うシェーマとはこういうことなのかと、母親と祖母は原型が似ていた。なので重なって思い起こさせれたのだとKは思った。
あのとき。祖母は、ふと意識を取り戻したかのように「ゆうちゃんかえ…よくきたねぇ…」と弱い声で答えた。明治生まれの祖母の方が骨が強そうに思えたが、母は、母で身体が強いようだ。酸素吸入を切るから会いに来ないかと、伯父さんが言っているよ、一緒にお別れに行く?かい。と母親が声をかけてくれた。あんた御婆さんと仲よかったよね。母親と一緒に祖母の入院する病院に行った。何年か前から植物人間になっているとは聞いていた。酸素吸入とはいいながら、余りの簡易な道具にちょっと驚いた。西日の当たる、夕方、祖母は息をしているかどうか分からないくらいの感じで横たわっていた。だいぶ前から、返事もないのよ。母の姉のみずえさんが、背を押すように、Kをベッドの脇に立たせた。母方の山田一族で、ただ独りの同情者、僕はちょっとみずえさんのお気に入りだった。「おかあさん、ゆうちゃんが来たよ。」と、声をかけた。「おばあさん、ゆういちです…」その先は、何といっていいか分からなかった。お別れに来ましたも酷いし、元気ですかは、相当に場違いだし…で、躊躇しながらも手を握った。声が返ってきた。弱々しいけれどしっかりした声だった。居合わせた伯父伯母は、ぎょっとして動揺を顔に出さないようつとめた。伯母のみずえさんだけが「おあかあさん、わかるの?」と声を大きくした。反応はなかった。それから祖母は静かに息をしていた。今から酸素切るんだよな…会えたことをよしとしなきゃなと、病院を出た。Kは必死に自分に言い聞かせているのに気がついた。何もできない。まだ意識があるじゃないか。どうして。
音を立てないようにそっと脇に立っていたのに、母親は、ふと目を醒まして、眠そうな目でこっちを見て「あ、あんた来たの?」と言った。弱い声で、たくさんの話が難しそうだったが、それでも、自分から声を出しているし、なんとなく今際のきわの風でもないし、もちこたえるかもしれないな。衰弱で認知が進むと思ったけど、直ぐに僕だと分かったし、話もできる。「情けないねぇ、もう駄目だね、家には戻れないかもしれない。そしたらあんた約束通り家は頼むよ。」
そんなことはいいから、ゆっくり休んでちゃんと食べて…と、言いかけて、視線は定まらないまま宙を彷徨い、天井の染みのところでとまった。とにかく何とかしなきゃ。父親の治療の時と、同じ様にやるんだ。突然Kに託された進行性の癌の父親。病院を決め、順天堂大学病院のT先生の奇跡の執刀で、命を2年のばしてもらった。あのときと同じ様にやるんだ。冷静に考えて…その時できる最善の方法を…。ごめんね母さん…ほんとはもっと前に助け出さなければいけなかったのに。やがて母親はゆっくりと気だるさに飲み込まれ、また、うとうとしはじめた。それにしても、どうしたら良いんだろう。
Kは母親に自由に会えなくなっていた。この5年、実家と母は、弟に占有されていた。そして母親が使えるお金も全部だ。Kは、2ヶ月に1回、弟・真二のオーダーする日に行って、母親を近くの医院に定期の検診に連れて行く役割だった。何でどのようにしてそんな状況になっているのか、Kには把握できていなかった。分からなかった。ただただ弟の言う通りに介護をしていていた。考えてみなくちゃな…。だけど今はそっちが優先じゃない。
しかしながら、今の状況をよく考えてみれば、決して悪い見通しだけではないことが分かる。なにより、入院したので、たぶん母親と自由に会える。たぶんだけれども。そこからどうにかできるかもしれない。母親の意志も聞ける。少しだけの安堵が、Kの気持ちを前向きにした。よし、まずは病院だ。音を立てないように部屋を出て、ナースセンターに向かった。看護師たちが、忙しそうに立ち働いていた。様子を窺ってから、Kは、今野さなへの病気の現状を聞きたいのだけれど、と、若い看護師に尋ねた。長男さんですか?
おや、反応が早いな。どうして長男だと分かった。そのKの表情を見て、若い看護師は一瞬、表情が硬くなった。くるりと反転して婦長の方へ駆けた。もう1人の看護師が寄ってきて、ちょっと待ってもらえますかとKの視線を遮った。なかなか良い連携だな。Kに待つことに異存はなかった。腕組みをしたいのを我慢して、こういうところで偉そうにしはいけないんだよな。と、自分に言い聞かせた。ナースセンターの空気がひそひそと微妙に揺れている。順天堂大学病院の窓口とだいぶ印象が違う。なんだろうこの違和感は。
婦長が出てきた。「楽観はできませんが、今のところ命には別状がないので、経過を見ています。」と、優しさを一杯に、威厳をもって、そして安心感をもたせよう、ゆっくりとしかしながらきっぱりと言った。そこで話は終りだという合図だ。
ここで途切らせてなるものか。それだけですか。説明は。もう少し詳しく聞かせてもらえませんか。私は長男です。丁寧に婦長の機嫌を損なわないように尋ねた。婦長は、今のところ…と…前に言ったことを繰り返そうとした。こちらも同じように、婦長の発言に重ねて繰り返した。僕は長男です、こんなこともあるだとうと、Kはidカードをだして、権利を主張しようとした。息子なんだから聞く権利はあるだろう。IDカードには写真もついている。これなら納得するだろう。長男が倒れた母親の病状を聞こうとしている、当たり前のことだし、そんなに抵抗するようなことじゃない、当然の権利だ。ところが、「病院は患者の説明は窓口をひとつにしていますから、病状と見込みは弟の真二さんから聞いてください。あなたは昨日、病院にいらっしゃらなかった。弟さんがキーマン、後見人になっています。婦長の言葉を遮りながら、「昨日は京都の奥の和束に居て…」と言いかけて、何か変だな。だって昨日の今日だ。どうしたら閂があくのか。そんことすら思い、次の言葉を躊躇していると、婦長は、すでに次の言葉を重ねて、「弟の真二さんとお嫁さんが後見人になっているので、後は、真二さんから聞いてください。」これ以上説明はしないという頑な婦長の表情が、Kの次の言葉を遮った。
だって昨日の今日ですよ。なんでこんなに厳しいんだ?…次にどういうかを迷って、口から出たのは、会うのは構わないのですか?
それは許されています。言ってから、相応しい返答だったかどうか婦長が検討しているのが顔つきで分かった。Kはしまった、こういう言い方をしたら、弟の権利を認めてしまうことになる。誰に許可がいるんだと、突っ込みをするのが正解だったかもしれない。
それから数日後、相変わらず暑い夕方に母親を見舞った。別の若い看護師が窓口に居たので、面会書はこれで良いのですかと聞きながら、ところで病状を主治医にお伺いするにはどうしたら良いのですかと、Kが聞くと、あ、これに申請書を書いてくださいと。。しめた、と、名前と希望時間を書いてから、母親の病室に行った。
外は暑いのかい? 母親は、機嫌が良さそうだった。早く、ここに来て住んでくれないかね。
ここって?病院に?
ここは病院? 認知症なのか、入院の混乱なのか…ちょっと言っていることがおかしい。
あ、あんた面白いものを下げているね。大船中央病院。住むのにちゃんとかかりつけの病院を決めてきたの?
いや、ここは、お母さんが入院している病院でしょ。これは、面会証だよ。ここはどこ?と母親に聞くと、「病院でしょ」と、答える。家じゃないよね。
「当たり前でしょ」と、答えながらKの首に下がっている面会証をいじり続けている。Kは面会証を首から外して手渡した。一字、一字、指を差しながら声に出して読んでいる。こ・ん・の・ゆ・う・い・ち、あ、あんたの名前が書いてある。不思議だね。
ここどこか分かる。もう一度、聞いてみた。死にかけて運ばれた状況を把握しているのか?どうなのか。
分かるに決まっているよ。病院だろ。こういう市立の病院はね駄目なんだよ。入りたくないんだよ、こんなところ。
おかあさん、これから面倒見てもらうんだから、そんなこと大きな声で言っちゃ駄目だよ。でも市立じゃないと思うけどな…。
天井の染みがねちょっと気に入らないね。まったく何の因果でこんなところに…。
母親は何に対しても悪口がでる。親戚とも兄姉妹とも、PTAに言っても一日ももたない。100点以外は点じゃない。あんたのおじさんたちは…と容赦ない。誰に対してもだ。悪口がはじまったら、少し大丈夫かもしれない。帰りがけにナースステーションに寄って、病状説明の申請について質問しようとしたら、婦長が出てきた。もう少し詳しい病状説明をしていただきたいんです、担当医から。病状説明は弟さんにしてあります。
どうして駄目なんですか。長男ですよ。今までの介護もシェアしていますよ。説明は、難しいですね。弟さんに聞いてください。
そのとき、目の隅で、主治医らしき白い姿が母親のいる病室に吸い込まれたのが見えた。
そうか! 婦長に目礼をして、走って母の病室に入った。医師が母親に問診をしていた
「終わったら母親についてお話を聞きたいんですが…」と脇から声をかけた。
…
返事はなく、医師は逃げるように自身の部屋に戻るのを追いかけ、扉のしめかけのところから、脚を入れ、どうか教えてくださいと真摯に頭を下げ頼み込んだ。そう真摯にだ。母親の病状を把握するのがまず第一だ。状況把握、そこからしか始まらない。Kはそういう人生を生きてきたと自覚している。婦長が止めようと後ろから迫ってきたが、医師は良いよと婦長に目配せした。
で、母親の状況を…。医師は真剣に病状を知りたがっていると分かったみたいだ。カルテを見えるように机の上に置いて、この一回だけですよ。特別にですよ。窓口は一つにしないと、混乱が生じますから。あとは弟さんを通じてお伝えしますと、念をおして話し始めた。
「運び込まれたときは、脱水症、カリウム不足、あとは、栄養失調。昨日からの点滴で山は越えているかと思います予断は許さないところです。」
母親の母、祖母が入院したときと一緒だ!
主治医の窓から見える大船観音の上に広がる、空は青く、夏の気配がしていた。湘南の夏が来る。
「水もかなり飲んでいなかったと思われます。衰弱していますが…可能性はあります。ただし家には帰れないと思われたほうが。」
弟が家に連れて帰ると言っているのかな?
「それも選択肢ですし、だけど難しいと思いますよ。戻るのは。」
え、弟は、もう母親を実家に戻すって考えているの?それは無理だろう。
元々、実家での介護が母親の性格を含めてうまくいっていないことは言ってきた。水を飲まない、ご飯を食べない。でもそれはヘルパーにまかせっきりだからだ。Kが行けば、何か買ってきてと、食べ物を一緒に食べていた。「ああ、おいしいと」
美味しそうではなく、誰かに怒っているかのような言いざまではあったが、それでも食べていた。
「施設にとかは…」
施設といっても、金銭的なこともありますから、どの位の余裕があるかによって変わってきます。今は、弟さんが面倒見ているのですから任せたら。
何となく手を引かせようとしているな…。Kは医師に頼み込んだ。後見人に入れて下さい。
医者は明らかにしまったという顔をした。話すべきでないことを話していると分かったのだ。急に医者は、窓の外を見て、さあそろそろお引き取り願いましょうかという雰囲気を出し始めた。・
家族内のことは、病院は触りませんから。この一度だけと最初に断りました。
母や実家に戻したら死んでしまいますよ。だって瀕死でこの病院に運び込まれたんでしょう?以前より良くなって、戻ることもないだろうし…。
後見人ひとりにしぼって、そこから家族にはつたえたい。と。でないと混乱しますので。
(1人とは言いながら見せてもらった書類には、弟と弟の妻が連名で記されていた)
弟のやり方に口を挟まないから、重要なことがある時には、説明を同席したいから、後見人に居れて欲しいと懇願した。しかし医師は、「目の前で喧嘩されちゃ困るからね。そういうことはあるとなので、病院もそういう対応にしています。病院には、そういう方の相談相手として、ソーシャルワーカーがいるので、相談してください。」
どうにか、弟と話さなきゃ。真二が逃げても今回はどうしても話さないと。