♯005 「良い街」の定義は曖昧だ。 -東京都知事選に寄せて-
選挙のたびに、いまでも思い出す言葉、二人の女性から言われた、忘れられない言葉があります。
一人目は中学生の女の子。場所は岡山市内の某所で開催された地域活性に関するシンポジウムでした。国会議員、市議会議員、起業家、農家といった様々な立場の人たちと共に、自分もリージョナル誌の編集長、イベントプロデューサーといった見地からパネラーとして参加させていただきました。
まちづくりはどうあるべきか、他都市と比較した岡山の現状、人材流出への対策など、テーマに沿ってシンポジウムは進行していきます。
このとき、業界や立場は違えど、壇上にいる全員が「いかにして岡山を盛り上げるか」という不文律に従ってディスカッションをしていました。
2時間近くの討論が終わって、来場者からの質問の時間になり、司会者が会場に促すと、最前列に座っていた中学生の女の子がすっと手を挙げて言いました。
「盛り上がっている街が良い街なんですか?」
二人目は、ある商店街でお店を営む高齢の女性です。
最盛期に比べて人通りも少なくなってしまった商店街に若者を集めるイベントを企画して、商店の一つひとつに事前の挨拶をして回っていた時のことです。
当時は県内随一の繁華街として栄えた場所に再び活気を取り戻したい、そんな純真無垢な気持ちで動き出したものの、快く後押ししてくれる人ばかりではありませんでした。
迷惑そうな顔をするひと、市道にも関わらず権利めいたことを声高にぶつけてくるひと、よくわからない謎ルールやしきたりのようなことを強要してくるひと。
街の活性化には「若者」「よそ者」「馬鹿者」が必要だと誰かが言っていましたが、ここではそのいずれも受け入れてくれそうにありませんでした。
この企画が商店街の人すべてに喜んでもらえると思っていたらそれは大間違いで、なぜ自分がこのイベントを苦心してまで、この場所でしなければならないんだろうと茫然自失しかけていたところに、極めつけがその商店主の言葉でした。
こういう熱意で、こういった目的で、ご迷惑をおかけするかもしれないがきっと商店街のためにもなるはず、だから、ぜひ協力をして欲しいと伝えると、深いため息をついてから彼女は言いました。
「お兄ちゃん、教えてあげるわ。街は盛り上がったら駄目なんよ。街っていうのは静かであるべき。ちょっとでも騒がしくしてもらったら困る」。
女子中学生の言葉は、街とはどうあるべきかという非常に本質的な問いかけであり、商店主の言葉は、人間には価値観の対立と相違があるという至極当然の気づきと、意見の違う相手とコンセンサスを図ることがいかに難しいことであるかを思い知らされる、自分にとっては強烈に突き刺さるメッセージになりました。
地方創生、地域活性化、中山間地域の再生、この類の言葉はアチコチで頻出しますが、彼女たちの言葉を踏まえてよくよく考えると、どうも曖昧です。
これらが一体何を指しているのか、自分なりに考え抜いた答えは、その全てが「人口増加に資するものであること」でした。
地方で何のためにそのイベントをするのか、何のためにその施策を行うのか、全ては移住と定住の促進、つまり、最終的には人口の増加を目指したものでなければ意味がないのではないか。
しかし、今回の新型コロナウイルスによって、それも自信を持てる答えではなくなりました。人口が増加傾向にある地域がもっとも望ましいという自分なりのロジックはパンデミックによって通用しなくなったということです。
今回の東京都知事選は過去最多となる22人が立候補されましたが、その誰もが、「目指すべき都市の定義」を明確に示していないように思いました。
いつからか「マニフェスト」や「アジェンダ」といった言葉がもてはやされるようになり、各候補者が掲げる公約が何であるか、また、その具体性や実効性が重要とされるようになったと感じています。
ただ、こうした政策や財政といった具体的に示される提案は、理想とする都市に近づくために必要となる個別の検討課題や、行動計画に過ぎません。
今回のコロナ対策はもとより、各自治体の運営には緊喫の課題が沢山あることでしょう。しかし、これらにどのように対処すれば良いか、それすらも目指すべき地域の在り方がなければ、その場しのぎの処置にしかなりません。いわば、木の幹が無いのに枝葉を語るようなものです。
いま、夢や希望や未来といった漠然とした言葉に頼ることなく、「良い街、良い都市、良い国とは何か」、論旨明快に語ることのできる政治家がはたして何人いるでしょうか。また、「我々がどんな社会を目指すべきなのか」、子供たちに自分の確たる考えを伝えられる大人がどれほどいるでしょうか。
価値観も生活様式も激しく変容する、かつてないほどのスピードでアップデートを重ねる現在。民主主義、資本主義すら超えて、この先の社会がどのように変わっていくのか想像もつきません。
自分はいち編集者、いち市民として、それでも変わらない普遍的な「良い街」の定義とは何かを探しています。
それは、51対49で少数派となった人たちの気持ちも汲むものであり、昨日より今日、今日より明日に期待できるものであるべきだと思っています。
2020年の東京都知事選は前回よりも4.73ポイント低い投票率55パーセントでした。
コロナによって各自治体の首長の手腕に注目が集まり、投票意識が高まっていたような空気を感じる中での低投票率は如何ともし難いものがあります。
良い街の定義など戯言だという人もいるかもしれませんが、候補者がそういった大きな目的地を示すことができれば、この投票率も変わってくるのではないでしょうか
少なくとも、自分はそんな候補者、リーダーが現れることを期待しています。