表現がなぜ伝わるか伝わらないか、ジャグリングを軸に考える

表現とそれが他者に伝わることについて考えをまとめたいと思います。

僕は表現手段にポイ(広義ではジャグリングでしょう)を選んだので、ジャグリングで表現することについてフォーカスを当てて考えていきます。


表現という語の定義がそれぞれの人の中で違うと思いますので、このnoteの中で僕が言う表現の定義は、人がなんらかの意思をなんらかの形で表に出すこととします。

表現するorしないは選択できて、他者に伝えたいor伝わらなくてもいいも選択できると思いますが、表現して他者に伝えたい場合のことを考えます。


ジャグリングでは、例えば大道芸人がわざと難しそうに落としそうになりつつ技を成功させて拍手を求めることがありますが、これは技術をすごいと思ってもらい高揚感を味わってほしいという意思を表現して伝わっていると思います。

(リスクの高いことを成功させるハラハラとそこからの解放など、すごさには種類があるとは思いますが、話の筋から逸れるのでこのnoteではすごさの種類をひっくるめてすごさと言うことにします)

こういったすごさはジャグリングでは伝わりやすいですが、細やかな感情をジャグリングで表現して、それが伝わるかどうかとなると現状難しいと思います。

僕は細やかな感情や感覚を表現したい立場で、かつ表現しても伝わらないということが実感でよくわかっているのですが、なんで伝わらないのかを考えたことがあり、それを思い出しつつ整理したいと思います。


要点は下記の2点です。それぞれについて詳しく考えていきます。

・伝える側の方法と受け取る側の能力があるかないか

・伝えたい手段と内容によって伝わりやすさが違う


伝える側の方法と受け取る側の能力があるかないか

伝える側の方法が確立されているかどうか、受け取る側に、確立された方法を受け取るための基盤(人の生来の反応など)や能力があるかで伝わるかどうかが大部分決まると考えています。


もっとも伝わりやすい表現方法がなにかと考えると、言葉、表情、声のトーン、身振り手振り、肌の接触といった人同士の基本的なコミュニケーション手段だと思います。

その中でも言葉は、かなり細やかな内容を多くの人にわかるように伝えることが出来ます。

それがなぜかと考えると、人の歴史の中で嬉しい感情には嬉しいという語、悲しい感情には悲しいという語など、たくさんの事象が細やかに言葉に割り当てられていることで伝える側の方法の確立がなされ、多くの人が言葉を使う学習を人同士の会話の中で長く行ってきたために、受け取る側の基礎能力の獲得がなされているからだと思います。

外国語を浅くしか学んでいないと細かなニュアンスがわからないのは受け取る側の能力の問題だと考えることができ、母国語でもより細やかに正確に伝える受け取るとなると意識的な学習が必要だったりもします。

表情、声のトーン、身振り手振り、肌の接触も言葉ほどでないにせよ、伝える側の方法の確立と受け取る側の学習がなされているので伝わりやすいです。

ただ、これらは生来的にコミュニケーション手段として使える以上の伝える方法を、人が言葉ほど確立させてこなかったと感じます。

人は、現状まで言葉を使うことに特にエネルギーを注いで同種同士のコミュニケーション手段を確立させてきた生物なのだと思います。


それ以外の表現方法で、まずはジャグリング以外のものを考えてみます。

音楽は、長調だと明るい、短調だと暗い印象にしやすいです。ヨナ抜き音階だと和風にしやすいなど音階の使い方の選択や、リズムの激しさによって昂りの調整ができたり、トランペットが勇ましく感じるなど楽器の音色の選択もできます。

また、時代や国など人の置かれた背景によって変わりますが、ジャズはおしゃれな印象などジャンルによって印象がある程度決まります。

このように伝えるための方法が確立されていると言えると思います。

受け取る側はどうかというと、人が生来的に音楽によって気分が変わるという基盤はありますが、音楽によって表現されたものを受け取れるかどうかは受け取る側の意識的な学習にかなり左右されるのではないかと思います。

自分の体験でいうと、中学生くらいまで自発的に音楽を聴かなかったのですが、自分で好きだなと思えるものを選んで聴くようになると音楽で気持ちが動く振れ幅が大きくなっていったと感じていました。

あと、僕はエレクトロニカが好きですが、エレクトロニカを最初に聞いたときはグリッチノイズが不気味で虫が蠢いているようなイメージだったのですが、慣れてきて色んなものを聴いていくと心地よく感じるようになりました。

見せることで表現する手段で夕焼けを見せると、綺麗だなという気持ちと一緒に寂しさを多くの人に感じさせやすいです。これは方法の確立だと思います。

受け取る側は活動できる楽しい時間の昼が終わる寂しさを多く経験していることで夕焼け=寂しいの学習をしていると考えられます。

僕はバレエをちょっとだけ習いましたが、バレエの感情表現はよくわかりません。バレエでは伝える方法の確立はされているのだと思いますが、僕が受け取るための学習をしていないからです。

このように他分野について考えても、伝える側の方法が確立されているかどうか、受け取る側に能力があるかで伝わり方が変わることが説明できます。  


しかし、伝える側の方法の確立がされていて、受け取る側の能力の獲得がされていると必ず正しく伝わるわけではありません。

受け取る側の学習の仕方によって、受け取り方が変わります。

夕焼けの例でいうと夕焼けを恐ろしいと学習した人は、夕焼けを寂しい気持ちを抱かせる目的で表現したものに対して、恐ろしいという気持ちを抱くことになります。

言葉もこのnoteの冒頭で表現という語の定義をわざわざ示したように、それぞれの人の学習によって受け取り方が変わりますので誤解が良く起こります。

色なんかは国によって受けるイメージが全然違います。

現代アートは受け取る側に、美術の文脈と提起されている問題の知識を要しますが、それがないとなんだか奇妙なものにしか見えない場合が多いです。

このように、伝える側の伝え方の確立と受け取る側の能力の獲得がされていたとしても、それが共通するものでないと正しくは伝わりません。

こう考えると、表現したとして伝わるかどうかは受け取る側の能力に左右される割合が大きいように感じます。

そのため、表現するにあたってだれに伝えたいかを決めることが大切なのだと思います。


ジャグリングについて考えてみます。

伝える側の方法の確立について、単純な感情を伝える方法ですら確立されていないと思います。

こうやったらただ嬉しい、ただ悲しいという感情が伝わるという方法が現状はないと思います。細やかで複雑なものはなおさらです。

一方で、すごさや美しさを伝える方法は確立されていると思います。

前述の大道芸人のよくやる方法はすごさを伝える方法のひとつですし、flow感(僕は一定の速度で滑らかに物体を動かすことで発生する浮遊感と解釈しています)は美しさを伝える方法のひとつだと思います。

受け取る側の能力の獲得について、

ジャグリングを練習して出来るようになればなるほど上手な人の技術のすごさを理解できるようになります。

flow感が美しいと感じるようになるのにたくさんの海外のポイスピナーの映像を見た記憶があります。

ジャグラーでなくても、生活の中でものを扱った経験から学習して、3つ以上のものを扱うのはすごいとか、滑らかにものが動くことが美しいといったことを感じる能力を獲得しているとも考えられます。

しかし、感情をジャグリングから受け取る能力を獲得している人はいないと思います。伝える側が方法を確立できていないので、獲得しようがなく当然だと思います。

そのため、ジャグリングで感情表現したとして、その方法は確立されたものでなく、その人オリジナルの方法であることがほとんどであり、受け取る側も確立されてないが故に受け取る能力を獲得できない、獲得していたとしてもその人の体験に根ざしたものであり、伝える側の意図とは関係のないものになる場合が多いということが、ジャグリングで感情表現しても伝わらない理由だと考えています。


伝えたい手段と内容によって伝わりやすさが違う

現状のジャグリングのパフォーマンスで感情表現して伝わる方法はあります。

人の基本的なコミュニケーション方法(言葉、声のトーン、身振り手振り、表情など)を併用することです。

演劇やパントマイムなどの演技をする分野はこの人の基本的なコミュニケーション方法を流用して活用していると思います。

ただ、演劇などと比べるとジャグリングはジャグリングそのものである物を見せることが優先される傾向にあるので、表情や身振り手振りを見せることによる感情表現は二の次に見えがちです。

逆に難しいことを成功させたときの高揚感などはジャグリングでは簡単に表現できますが、演劇でやろうとすると難しいと思います。

これが手段によって伝わりやすさが違うということです。

その手段を使う人達が育てて確立してきた方法と、人の生来的な感じ方に沿って伝わりやすさの違いが出ると思います。

また人の生来的なコミュニケーション方法を流用しているものは受け取る側の能力が獲得されている場合が多いため伝わりやすいと思います。

音楽でもインストと歌であれば歌の方が伝わりやすい場合が多いです。


また、手段に関わらず、複雑で細やかな内容ほど伝わりづらく、単純で大雑把な内容ほど伝わりやすいです。

また伝えたい内容は伝えたい人の体験に基づき、受け取り方も受け取る人の体験に基づく以上、100%伝わることはあり得ないと思います。

自分もそうなのですが、特に受け取る側の内容は受け取る人にとって大なり小なり都合良く改変されます。内容の複雑さや細やかさが増すと、この改変もされやすくなると感じます。

そのため、現状ジャグリングで表現した場合に現実的に伝えられるのは、すごさ、美しさ、格好良さなど(まだあると思います。印象レベルで伝えられることは結構多い気がします)ジャグリングで伝える方法が確立されてきた内容と、人の基本的なコミュニケーション方法を併用した単純な感情あたりだと思います。


ジャグリングで感情表現する方法は、もしかしたら今後見つかって確立されるかもしれません。もし見つかったとしてもそれが根付いて確立されるまでには長い時間はかかると思います。

僕は、他人に伝わって欲しいのか、それとも自分の気持ちに影響を与えるだけでいいのかを考えた上で、他人に伝わって欲しいのなら、伝わって欲しい箇所はどこまでどう伝わって欲しいのか意識して、そのためにはどうする?と考えて表現するのが大切なのではないかと考えています。



ここまでがこのnoteで考えをまとめたいことでした。

ここからは考えをまとめた結果、自分はどうしたいのか自覚をより強めたいから、僕の以前、現状、今後どうするのかを整理します。

自分がどうしてきたか、今後どうするか

僕は、言葉でただ説明するという表現手段には限界があると思っています。

自分の感じてきた感覚の中にどうしてもしっくりくる言葉がないものがあるからです。

そのため、言葉にし切れない感覚や感情を言葉でない手段で出来ればそのまま形にしたいと思い、表現を考えてきました。


ただ、ポイのパフォーマンスを作る上で、それが全てではなく比率として多いと自覚しています。

その比率を具体的にすると、

1つのルーチンで70~80%が言葉にし切れない感覚や感情を表現している。

残りの20~30%は、

・ポイをやっている人に対して、技術やアイデアをすごいと思ってもらいたい

・万人に対して、ポイの軌道の美しさ、身体の動きがもつ柔らかで少し憂い気のある質感、音楽との調和 を快く感じてほしい

という意思の表現です。

この20~30%の方も、自分はこういうものをすごいと思う、美しく快いと思う、という今まで育ててきた価値観の集積なので大切です。

こちらは現実的に伝わりそうな内容ですし、伝わったと感じることも多いです。

そのため、人前でやることが前提のパフォーマンスでは割合を逆転させることもあります。

 70~80%の言葉にし切れない感覚や感情に関しては、僕がより大切に思っているものです。

言葉にし切れない感覚や感情とだけ言うといくらでもあるのですが、その中である種の指向性を持ったものを大切に思っています。(その指向性を上手く説明する語もないです)

そして、その言葉にし切れない感覚や感情は忘れやすいので、忘れても思い出せるように自分の外側に何らかの形で保存しておきたいと思っていて、保存する作業をやってきたつもりです。

なので、伝わる必要がなく自己満足で構わないと思っていました。

ただ、1例だけ僕の大切にしている感覚・感情に85%くらいまで近いものを表現していると感じられる創作物を見つけたのでもしかしたら伝わるのではないかと思ったことと、

他人に自分のことがわかってもらえず寂しい気持ちが積もった時期に、この感覚・感情を感じられれば安心できるという支えになっていたので、

伝わって、似た支えを持っている人が見つかれば、寂しさが軽減されるのではないかと思い、どうすれば伝わるんだろうと考えた結果、今回のnoteのような考えに至りました。

ちなみに、この感覚・感情を表現する方法は、

接続と発散のイメージを強くもつことと、ルーチン構成のバランス調整で雰囲気や空気感を作りこむことです。

受け取る側がそれを受け取る能力を育てる方法が分からず、受け取る能力を持っている人はほぼいないだろうから伝わりようがないと結論付けてしまいました。(副産物で出た雰囲気や空気感を好き嫌いと感じる人はいたと思いますが)

そのため、このnoteでの考えは偏った視点から出た考えであって、客観視するために整理して書いたという目的もあります。

今はその言葉にできない感覚や感情は、外側に保存しつくしたと感じることと、自分のことを理解してくれる人がいる環境なので支えにする必要がなく、結構忘れてしまっています。


忘れてしまった上で、表現して作ることをしたいと思っていたのですが、このnoteを書いている途中で気づいたことがあります。

20~30%のすごい・美しい等を伝えたい、 70~80%の言葉にし切れない感覚や感情の割合を、

20~30%のすごい・美しい等を伝えたい、 60~70%の言葉にし切れない感覚や感情、10~20%のこういう風に気持ちを変えたいという意思

にして一度ルーチンを作ったことがあります。

直近で作ったルーチンについて考えてみると、

30~40%のすごい・美しい等を伝えたい、 10~20%の言葉にし切れない感覚や感情(思い出しながらやった)、40~60%のこういう風に気持ちを変えたいという意思

で作った気がします。

こういう風に気持ちを変えたいという意思の部分が大きくなっています。

こういう風に気持ちを変えたいという意思というのは、言葉にすることはできるけど言葉で言ったところであまり気持ちが変わらず、創作物の形にすると気持ちが変わった気がしたと感じたものです。

これを表現する方法にも、接続と発散のイメージを持つことをしています。また、身振り手振りの動作も使っているので伝えることはできるのかもしれません。

しかし、他人に伝える必要がないですし、伝わったところで気恥ずかしいので、表現はするけど自分の気持ちに影響を与えるだけでいいと考えています。


ここまで書いて整理してみると、言葉にできない感覚や感情を表現することを原動力にすることはもうあまりできそうにないので、こういう風に気持ちを変えたいという意思を表現して自分の気持ちを変えていくために、今後作っていってもいいかなと思えてきました。

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