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手の障害について書いた結果、障害のためできないと思っていた4ポイを始めた

1年前くらいにこのような記事を書きました。

この記事の中で、手の障害についてnoteに書いた理由を、

だんだんと無理に隠さなくてもいいんじゃないかと思うようになってきたので、試しに人目に付く場所に書いてみて、その後の自分の気持ちを観察しようと思いました。

と書きましたが、その後の経過を書きたいと思いました。


気持ちの変化

積極的にアピールしようとは思わない、でも別に無理に隠さなくてもフラットに構えていても良いと今は思っています。

今までそれをなるべく人に言いたくないなと思ってました。
自己憐憫に浸って周囲の注目を集めようとする行為が嫌いなので、そう思われたくなかったからです。

これが無理に隠そうと思っていた理由なのですが、

「自己憐憫に浸って周囲の注目を集めようとする行為」は不快だと思いつつ、「どうでもいい」でなく「不快」だと感じるのは、障害があるゆえに「自分も実はやりたい、やってしまえる人が羨ましい」という気持ちがあるからなのではないかと疑っていました。
なので近い行為を自分自身でやってみたつもりでした。
結果、可哀想な状況から頑張った!とアピールしてみても別に気持ち良くないなと感じました。
(好意的に見てくれた方が多かったようで、もちろんそれは嬉しかったです)
障害はただの障害であり、自己憐憫に浸る行為は障害とは切り離されたパーソナリティ要因なんじゃないかなと思います。
僕には障害はあるが、該当するパーソナリティ要因はないようです。
不快に感じるのは、別の理由ですね。

それならば、別に障害があることを言っても自分の嫌いな行為をすることに当たらないと腑に落ちたので、フラットに構えていても良いという気持ちになりました。

ただ、別にアピールする利点もないので、アピールしたいとは思いません。
例えば、前回の記事がすごくバズって障害をアピールすることで何かしら自分の得になるようなことがあれば、アピールするようになったかもしれませんね。
この下心は正直あった。


左手に負担の大きそうな4ポイを初めた

ジャグリングの練習の中で、手に(特に左手に)負担をかけるリスクが少ないものを優先してきました。
4ポイは左手で2つポイを持つので左手への負担が大きいのではないかという理由で今までほとんど手をつけないでいました。
ただ、実際耐えられる範囲の負担かどうか今まで検証していませんでした。
自分の中に、どうせ左手が動きづらいのだからできないだろうという諦め半分の気持ちもあったのだと思います。

でも、別に無理に隠さなくてもフラットに構えていても良いと思えたことで、やってみてだめだったらそれでいいやという思いが強くなりました。
障害を起因にやらないでいたことに対して、気楽に接することができるようになったと思います。

実際に、少しづつ検証してみた結果、長時間やりすぎなければ問題ないということがわかってきました。


4ポイ結構楽しいぞ!

まとめ

自分の気持ちも体の調子もよーく観察して、行動の微調整を繰り返すことを今後も行なっていきたいなと思っています。

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