30代前半で会社員を辞めて栄村への貢献を選んだ理由 ~大切な“3月12日”を経て~
今日は栄村にとって大事な日である“3月12日”です。東北地方太平洋沖地震が発生した翌日2011年3月12日の未明に、栄村は震度6強の大地震に見舞わられました。私が30代前半で栄村に貢献するに至ったきっかけはその日に遡ります。
何もできなかった2011年
2011年3月12日。当時私は大学生でした。3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の次の日の朝、私の母親の生まれ故郷であり、小さい頃から訪れて愛着のあった栄村は、大震災に見舞わられました。当時栄村には私の祖母が住んでおり、家族の中では祖母が無事か?震災で気を悪くしてないか?を皆で心配したことを覚えています。
直接祖母の身の回りには大きな被害はなかったものの、栄村全体に至っては、橋や道路、建物などに被害が渡る結果となりました。当時私はその様子を写真や動画、ニュース記事、家族から話を聞くばかりで、結局一度も栄村を訪問しませんでした。「貢献できる力もないし、行っても迷惑がかかるだけだ」といった言い訳で自分をセーブし行動しませんでした。当時東北に震災のボランティアなどいく友人などをみて意志をもって動いてかっこいいなと思いつつ、自分は日々の生活にいっぱいいっぱいで、今思い返すと情けないの一言です。
テレビ局志望だった就職活動
栄村は震災以後、「忘れられた震災地」「忘れられた大震災」などと気にかけてもらえることが多く、私もそのような言葉を耳にする瞬間がありました。大学卒業後の進路先として、テレビ局のディレクターを志望していましたが、その理由が「栄村の震災のように、大事だけど記憶に残りづらい出来事や教訓を映像を通じて伝えていきたいな」という気持ちからでした。今考えると当時栄村に住んでいた訳ではなく、ボランティアなどで復興の手伝いをした訳でもなく、何もやっていないのに偉そうなこと言ってるな、と振り返ると浅はかだと思う一方で、自分が思うことを世の中に発信したいという気持ちはありました。
私は結局テレビ局には入社できませんでしたが、メディアの方が3月12日に栄村のことを毎年欠かさず発信してくださるのをみると、何かと安心した気持ちになります。忘れられたことなんて一度もないのでは?と思うくらいに毎回話題を設けていただけてます。SNSをみても、栄村とあまり縁のない方も含め、今でも事あるごとに想起くださるのをみて、私も栄村のためにできることをし続けようと常に励まされます。
2017年に栄村に将来関わることを決める
2017年7月。仕事の関係で札幌に赴任することになりました。仕事はキャリア教育や採用関連でしたが、当時ご縁をいただき、十勝で農業に関わらせていただく機会がありました。栄村の祖父母の実家が農地や山を保有していて農家であることは知っていましたが、人生の中で農業をやろうとは全く思ってもいませんでした。
十勝の農業の現場には、札幌に赴任した2年間で3,4回ほど携わらせていただき、色んな農家の方々のお手伝いや見学をさせていただきました。毎回十勝に行く度に、そういえば栄村の土地はどうなってるのかな?と考えるようになり、日を追うごとに「将来引き継ぐ人もいないみたいだし、栄村の農地継ごうかな」という気持ちに変わっていきました。また十勝の農家の方に「手伝いとか見学してるくらいなら、早く引き継いじゃえば」と言ってもらえたことが今でも心に残ってます。最初は老後とか40代の落ち着いた頃なのかな?と考えましたが「そっか早めに引き継ぐかー」と考え直すきっかけになりました。
2019年に久々に栄村を訪問
2019年は一度目のキャリアチェンジのタイミングで、次の会社に転職する前の空いた時間で栄村に遊びにいきました。思い返すと大学生活、社会人生活で忙しいのを言い訳に、栄村には高校の時以来行けてなかったのでは?と思い出すのが難しいくらい久々の訪問となりました。震災後落ち着いてから行こうと考えてましたが、気づけばこのタイミングになってしまいました。
その時、久々に訪れた栄村の姿に自分が知っている過去とのギャップを感じました。明らかに人口が減っているし、少子高齢化も進んでいる様子があらゆるところから見て取れました。祖母も「寂しくなっちゃったよ」と口にしているのを聞いて、改めて栄村を何とかしたいなと思うようになりました。そして定期的に栄村にくることを祖母や母親とも約束し、次の転職先で力をつけることに集中することにしました。
コロナ禍でリモートワークが浸透し、個人で稼げる感覚を身につける
2020年1月から新しい会社に入社して間もなく、世の中はコロナ禍に突入し、約2年間フルリモートワークで働くことになりました。またスタートアップ企業の人事部という環境下で働く中で、正社員ではなく業務委託契約で働く個人の方や副業をされる方とご一緒させていただくことが多くありました。この経験が非常に大きく、フルリモートワークで個人で稼ぐという感覚を、諸先輩達から身を持って教えてもらえる機会となりました。なので「次は個人として独立して稼げるようにし、その上で栄村に住めば、生活も安定させた状態で栄村に貢献できるのでは?」と自分の中で栄村に早めにいける可能性が少しずつ見えてきました。ただそんな簡単に前に進める訳ではなく、踏ん切りがつかないまま何ヶ月間はモヤモヤしていました。そんな中有り難いことに当時の上司の方に「栄村への挑戦」 を後押ししていただき、意を決して会社員を退き、個人事業主としてのキャリアをスタートさせることができました。
個人事業主として独立し、地域おこし協力隊としての赴任が決まる
2022年9月に個人事業主になりました。それから半年近く一人で稼げるようにするために色々努めた結果、最低限の土台をつけることができました。そして2023年2月に栄村で募集していた地域おこし協力隊の面接に参加し、無事同年7月からの赴任を決めることができました。有り難いことに個人事業主の私を受け入れてくれる形で契約させていただき、これまで培ってきた自分の仕事をやらせてもらいながら、農業を中心としたミッションで栄村への貢献に携わらせていただけることになりました。
きっかけである2011年から数えると13年、北海道での出来事から約5年、個人事業主になってから約1年と、思ったよりも早いペースでここまできたなと振り返って思います。その過程では色んな方から刺激を受けたり、助言をいただいたり、助けていただきました。関わってくださった方々に改めて感謝申し上げます。
カメレオンのごとく変化しながら、生涯栄村に貢献し続ける
今日は栄村をより思うきっかけとなった震災から13年。近道なのか遠回りかのか分かりませんが、ようやくここまできました。そして今後も生涯栄村に貢献し続ける意志もあります。今は地域おこし協力隊という立場にいながら、二拠点生活やマルチワークの働き方をさせてもらってます。大きな軸は変えないながらも、時期に応じてカメレオンのごとく適切な形で生き方や働き方を変えながら、過ごしていくつもりです。
何かと長くなりましたが、ご拝読ありがとうございました!私の栄村への貢献に辿り着いた経緯や「こんな生き方や働き方もあるよ!」ということが少しでもお伝えできたら嬉しいです。また来年の3月12日に振り返ろうと思います。