なんで食べられない側が合わせなきゃいけないの?
今日みんなに共有したいのは、
「なんでいつも、食べられない側が、食べられる側に合わせなきゃいけないの?」
って話です。
……おかしくないですか?
まずパッと思い浮かぶのは、
自分が子どもの頃の小学校の給食です。
早生まれで体も小さかった私は、
時間内に食べられずに、
よく居残りさせられていました……。
そして高校生の時。
野球部の食トレのノルマで、
朝2合、昼2合、夜3合の
白米を食べなければいけませんでした。
160cm部員も、
190cmの部員も、
一律で同じ量がノルマでした。
”いつも”は言い過ぎたかもしれないし、
「給食は最近変わりつつある!」
みたいな話もよく言われますが……
本当ですかね?
食べられない側から
↓がんばって
食べられる側になろう
そんな根本的な価値観は、
そこまで変わっていない気がします。
もちろん、
「健康のために食べることは必要だ」
という主張は理解できるし、
楽しく、美味しく
食べられるようになったら
それは良いことではあります。
でも、
「頑張って食べられるようになる」って、
人を幸せにすることなのかな。
そうじゃなくて、
仮に食べられなかったとしても
「わたしはこういう人間です」
と、胸を張っていられること。
それが大切なのではないでしょうか。
私は人と食事が苦手な人たちに向けた
克服支援の活動を8年以上続けています。
人と食事が苦手なことを
気にならなくなっていった人は、
「食べられるようになったこと」よりも
「食べられなくてもそれでいいんだ。そんな自分でもいいし、価値がある。」
という価値観を人生に持ち帰ってくれた人が多いと感じています。
そして、改めて。
世の中にはびこる、
「食べる方がえらい」
そういう価値観を、
私はぶっ壊したいんだなと思いました。
この価値観は、食べない子の親や先生など、見守る大人たちも苦しめます。
「ちゃんと食べさせないといけない」
そのプレッシャーが子どもへの圧につながり、子どもも食べることがだんだん嫌いになることがあります。
周りに合わせて
「頑張って食べる」のではなくて、
自分を大切にして、
食べられない時は食べないことを選択できる
……そっちの方がカッコよくない?
わたしがやりたいのは、そんな提案なんです。
もちろん、わかります。
それが、しづらい時だってありますよね……。
たとえば、
お仕事で上司や取引先の人との食事。
初対面や気になっている人との大事な食事。
パートナーのご両親との食事。
他にも色々な場面がありますよね。
そういう場面では
「ちゃんと食べないとダメであり、非常識」
な気がしてくる。
でも、あなたに伝えたい。
それで食べられなくて、
相手が気分を害しても、
それはあなたがダメだからではないと。
その相手の価値観の問題……?
いや、
社会や世の中にいまだに強くある
「食べる方がえらい」
という価値観からくる問題なのではないでしょうか。
だから、
それを変えたいと思い、
世の中に向けた発信も含めて、
さまざまな活動をしてきました。
でも正直、
まだまだ足りないな。
発信することもそうですし、
仮に食べられなかったとしても
「わたしはこういう人間です」
と、胸を張っていられる。
↑↑
そんな人たちを増やすことも、
結果的には世の中の価値観を
変えることにも繋がります。
特別なにかやることが
決まっているわけではないですが、
「次はそんなことをやりたいな〜」
と、ぼんやり考えていたりします。
さあ、ここから、
どう世の中を変えていこう。
よければ、あなたの意見も教えてくださいね。
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