花の真の意義は、咲き終えたあとに
写真・文 多田多恵子
イラスト 江口あけみ
タネは時空を旅するマイクロカプセル
四季折々、咲きめぐる花々。花の美しさや香りに、人はつい目を奪われます。でも、花の真の意義は、咲き終えたあとにあります。植物の最終目的はタネをつくり、次世代に命をつなげること。花は通過点にすぎません。美しい花びらも甘い香りや蜜も、実を結びタネをつくるための小道具にすぎないのです。
タネはいわばマイクロカプセル。みずからの設計図である遺伝子と、芽が育つための栄養が詰め込まれています。新しい場所で新しい世代を担うべく、タネたちは旅立つのです。
しかし、「旅立つ」といっても、そこは植物。簡単にはいきません。動物と違い、植物は自由には動けないのです。旅に出るには、小道具なり作戦なりが必要です。
風に乗るパラシュートや翼、水に浮くコルクに自動発射装置、さらにはかぎ爪や色仕掛けで動物をヒッチハイクしたりするなど、タネたちは驚くほど巧みな道具や作戦を持っています。
タネはときに、時間をも飛び越えて旅をします。厳しい季節をタネの形でやり過ごすのは一年草。暑すぎる夏や寒すぎる冬、あるいは乾いた季節も、小さくとも頑丈なカプセルでならしのげます。
もっと長い歳月を飛び越えるタネもあります。たとえばメマツヨイグサのタネは、条件の悪い環境に移動してしまった場合は、すぐには芽を出さず、土の中で何年でも何十年でも休眠して事態の好転を待ちます。こうしたタネには、光や温度の変化を感知するセンサーが備わっていて、目覚めの準備も万端です。遺跡から発掘されたハスやコブシのタネのように、何千年もの時を飛び越えて芽を出す例もあります。
タネは、時間を旅するタイムカプセルでもあるのです。
植物は地に縛られて動けません。でも、じつはタネという精巧なカプセルをつくり出し、巧みに空間と時間を移動しています。この本ではタネの旅のしかたに注目して、タネたちの巧みな工夫とそれにまつわるエピソードを紹介します。取り上げたのは、どれも日本で見ることができる身近な植物です。ぜひ、みなさんも実際にタネを探して手にとって、あっと驚く知恵や工夫を楽しく発見してみてください。それではタネの不思議を知る旅に出かけましょう!
百合の木
見上げてみたり拾ってみたり。ちょっと意識して接してみると、いつもの道も楽しくなります。ユリノキ並木を見上げると、ほら、春と晩秋の2度、樹上に「花」が咲いています。プロペラのタネも投げ上げてみて。
樹上に咲く「チューリップ」
ユリノキは北アメリカ原産。明治初期に日本にもたらされました。太い幹がまっすぐ立ち、堂々とした樹形になるので、街路樹によく植えられます。
葉は奇妙な形です。先端がすぱっと切り落としたかのように四角く、ちょうどTシャツか半てんのように見えます。それで別名「ハンテンボク」とも呼ばれます。
モクレン科は古いタイプの被子植物で、特にユリノキ属は北アメリカと中国にそれぞれ1種類ずつが現存するのみ。日本でも化石は出てきます。いうなれば「生きた化石」ですが、今は人の手で育てられて繁栄しているというわけです。
花は若葉のころ、枝の先に咲きます。高い樹上でさらに上を向いて咲くので気づきにくいのですが、クリーム色の地にオレンジ色の斑紋が入った、きれいな花です。形がチューリップの花に似ているのでアメリカでは「チューリップ・ツリー」と呼ばれています。学名も「チューリップのようなユリの木」という意味で、和名はそこからきています。
花には蜜がたっぷり。じつは祖国のアメリカでは、蜜を吸う鳥の仲間が花に来て花粉を運んでいます。花びらのオレンジ色は、鳥の目に目立つためのサインなのです。日本では最近カラスがこの蜜の味を覚え、開花時にはうるさく群がります。でも、乱暴なカラスは花ごと食いちぎってしまうので、花粉の運び手としては役立ちそうにありません。ミツバチもこの花の蜜を集めて、おいしいハチミツを提供してくれます。
モクレン科は花の構造も原始的です。花の中心には、たくさんの雄しべに囲まれて雌しべもたくさんあります。そこで、雌しべがそれぞれ受精すると、1個の花からたくさんの実ができてくることになります。このような実を、集合果と呼んでいます。
樹上で実が育つころ、独特の形をした大きな葉は、日に日に緑の濃さを増しながら枝全体を包み込みます。豊かな樹陰を広げて、ユリノキは人々を見守ります。
冬空に咲く2度目の「花」
晩秋、葉がすっかり落ちたユリノキをふと見上げると、冬枯れの枝先に、再び「花」が咲いているではありませんか。この2度目の「花」、じつはこれが集合果、実の集まりです。
ユリノキは風にタネを運ばせています。種子を堅いプロペラ形の実に包み込み、風に乗せて送り出すのです。
風が吹くと、「花びら」のように見える実は、ひとひらずつ枝を離れます。すると、ユリノキの実はたちまち精巧なプロペラに変身。くるくる回転しながら落ちていきます。このとき、種子を包んだ部分が重心、へらのように薄く伸びた部分が翼となり、投げ上げると竹とんぼのようにゆっくり落ちてきます(このときわずかですが、ひねり方向の回転も加わります)。滞空時間を延ばして長く風に乗り、より遠くまで移動しようというわけです。しかも、飛行の邪魔になる葉が、すべて落ちきる晩秋を待って。
飛距離はどのくらいでしょう。私があちこちでユリノキの実を拾って歩いた経験では、だいたい150mぐらいは飛んでいました。うまく木枯らしに乗ることができれば、さらに長い旅もできるでしょう。
植物は動けません。でも自分の力で動けないなら、実をプロペラの形に変え、風を利用して移動します。タネというカプセルには、植物の見事な知恵が詰まっています。
空に舞い、動物を操り、時を駆ける。
小さなタネたちが繰り広げる32 通りの旅の物語。
内容紹介
植物は動けないなんて大間違い。
新しい場所で命をつなぐタネたちの、驚くような旅の知恵を大公開!
風に乗るパラシュートや翼、水に浮くコルクに自動発射装置、さらにはかぎ爪や色仕掛けで動物をヒッチハイクしたり、旅するタネたちは、驚くほど巧みな戦略を携えています。
タネの旅は、ときに時間をも飛び越えます。条件の悪いときには芽を出さず、何年でも何十年でも休眠して事態の好転を待つのです。
この本では、身近な植物のタネがもつ、知られざる子孫を残すための工夫、巧みな旅のしかたをご案内します。