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【読書感想文】完璧な世界と個の自由の狭間で『ハーモニー』

伊藤計劃の『ハーモニー』は、近未来における理想郷と現実の乖離を描き出したSF小説だ。〈大災禍〉という混乱を乗り越えた人類は、高度な医療技術によって人々の健康が管理され、幸福が保証された社会を築き上げた。この未来の世界では人々が互いに気遣い、健康を最優先に考える価値観が深く浸透している。病気はほぼ消滅し、医療分子が体内を常に監視することで、もはや人々は老い以外で死ぬことからも自由になったのである。

しかし、この一見理想的なユートピアは、論理や分別によって人々の自由がある意味制限されることで成り立つ負の側面も抱えていた。主人公の霧慧トァンは、過去に経験した自殺未遂を経て、この社会を一新させようとする勢力に立ち向かうことになる。

本書の中心的なテーマは、善意の名のもとに自由が制限されることの危険性だ。現実の社会においても、善意の名のもとに行われる過剰なほどの自己検閲や他者への干渉が見受けられることも少なくない。本作のテーマは、私たちが日々直面する倫理的ジレンマや社会的なプレッシャーを反映しており、不気味なほどの現実感を感じさせるのだ。

本書を読んで私が思ったのは、人間にとっての自由の脆さである。いうまでもなく、他者に対する善意や思いやりは、人間にとってかけがえのないものであるのは事実だ。一方で、これらが個人の自由意思に優先する絶対的な価値観であるとする本作が描いた社会には、むしろ人間性を消失させかねない側面を垣間見た気がした。

人間にとって「幸せ」とは何か?「自由」とは何か?こうした問いに対して自ら答えを見つけるまたとない機会となったことが、私にとって、本作を読んで得られた一番の恩恵だ。

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