帰らなかった日本 / ラオス居のこり
9月1日。
この日にどこにいるかは重要なんです。
ほとんどリモートなんだから、外国からでも無理なくできていました。
でも幸いなことにコロナが明けて、文科省も取り引き先も対面を要求してくるのですよ。
しかし私は学生ではないので、この大学院の基準には当たりません。
でも教授の印象は大きくあるでしょう。
後期学期に初めからいない、と、いうのは。
ヴィエンチャンには行ったんですよ?
行きは夜中の悪路を6時間。
タクシーを雇いました。
飛行機より高いのですが、ちょっと事情があって。
でも、良かった。
夜明けのラオス。
ヴィエンチャンには2泊して、航空券も調べて、ハノイ経由で帰ろっかな。って。
不思議よねー
そしたら今ごろ、自宅か〜
9月1日に日本にいることの大切さは合理的に理解していました。
でも、9月1日と2日に私のいた村の州全体のお正月があるんだって、そっちのほうが見たくなっちゃった。
帰りは逆に列車。
これで、陸海空の行きかたは分かったわ。
中国が作ったの。立派な建物に快適な車内。
スピードも速いし。2時間で結ぶの。
『万象』でヴィエンチャン。
まぁ、『中華』から見たら、こんなところ、辺境の地、毛外の地だったろうし、象さんの多いところ、くらいだったんだろーなー
今では中国人観光客が中国で失われた、のどかさや、やさしさをもとめて、ラオスに来るのね。
ヒニクですわ。
予約投稿しますので、今は9月1日の3時半。
あーぁ、もういいんだ。ワタシなんて。
小説家にもなれない。
学者にもなれない。
なにもしない人。
いや、でもどっちも、「書く仕事」
やれるところまでやってみよー