人生を変えた1冊~原作の物語をさがして買った聖書
それは、すなわち聖書の一節です。
当時脚本の勉強をしていた私は、原作になる物語を探していました。本の中の本として思いついたのが聖書です。
当日の私は、安定した仕事を辞め、自分のまったくやったことのない道に挑戦しました。しかし、それは今までの生活からの逃避でもありました。逃げ出してきた自分、そしてこの先、生活していくことができるのかという不安、しかしなんとかせねばならないという気負いの中にいました。
買ってきた聖書の新約聖書から読み始めたところ、目に留まったのが次の一節です。
円形脱毛症になった時に励まされたのは、次の一節です。当時は、日給月給のアルバイトをしていました。トラックでごみステーションをまわって、それを回収する仕事です。なんとも言えない生ごみのにおいと、そこで重労働をしているのに周囲の人たちが視線をそらすような中にいました。社会の底辺から物事をみたらどうなるのか?そんな気負いもありましたが、将来への不安と、離婚を経て自分のふがいなさを痛感していました。でも、まだできる!そう思って必死にもがいていました。
そんな時に、「職場の風呂でお前、頭どうしたのよ!」
と先輩に声を掛けられました。
500円玉サイズの円形脱毛でした。
病院では何かストレスあったかな?と聞かれ、思い当たることはありますと応えました。自分は大丈夫だと思っていたのに、体の限界はきていました。しかも、自分も気づかず、そのことを見つけてくれる仲間もいないところに自分はいました。
最後に、聖書の中に、自分に語る言葉があるはずだから・・・と牧師さんに言われて、たどり着いたのが次の御言葉です。
藁をもつかむ思いで、20代後半のボクはイエスキリストを信じ、洗礼を受けました。日曜日もイベントの仕事が多かったので、日曜夜の礼拝に出席していました。そこには、わずかの人しか参加しませんが、日曜日も仕事をしている人たちがポツポツと集まっていました。年末のメッセージだったと思いますが、この言葉を聞いて自分にも新しい時が来ることを期待しました。
聖書に出会ってから、27年。
私は一つの仕事を続け、荒れ野に道を敷くことは仕事のモットーになりました。
結婚の恵みにあずかり、子どもにも恵まれました。
今、聖書を読みながらnoteの記事も毎日書いています。
人は出会いによって変わると言いますが、聖書との出会いは私の人生を大きく変えました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?