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八百屋の黒板の物語 「スナップえんどう」
晩御飯を食べている颯太が、何か思い出した様に「あっ」と呟いた。箸とご飯茶碗を持ったまま五秒ほど静止した後、何事もなかったかの様にまた食事を再開する。今日の献立は、豚バラのキャベツ炒めと、わかめスープ、茹でたスナップえんどうである。
「今の何?」
颯太の二歳下の妹、美憂がすかさず訊く。
もうすぐ中学三年生の颯太は、ぼーっと何を考えているかわからない事が多い。対して小学生の美優の方が口が立つので、何かあるといちいち兄に口を出す。そんな食卓を囲む、二人の母親である弘恵も、夫の光彦も、子供二人のやりとりは見慣れたものと、ただ箸をすすめる。
「数学のテストで、たまに変な問題が出るんだよ」
口に物が入ったまま颯太が話し出すのを見て、弘恵は少しだけ眉をひそめた。
「その先生、田上って言うんだけど。テスト問題の最後に毎回ちょろっと変な質問が出るわけ」
田上は四十代の男性教師である。既婚で、娘がひとりいて、学年の半分のクラスの数学を受け持っている。教え方の評判はすこぶる良いが、生徒との距離を近づけようとしない堅物であり、逆に生徒指導などの学業に関係ない所は緩い。たまにある授業中のなんともない雑談さえ、ぞの後の授業内容につながったりするので、計画をきっちり立ててから授業をするタイプに見える。
学年にもう一人いる数学教師がテストの作問をしている可能性もないことはないが、キャリア的に田上が作成しているだろうと颯太は思っている。
「でね、この前の期末テストの時の質問が『好きな野菜を三個答えよ』だったんだよ」
という颯太のその言葉に、父親の光彦が口を挟んだ。
「で、颯太はなんて答えたんだ?」
「えっと…れんこんと枝豆と、とうもろこし」
颯太がそう答えると、光彦はニヤリと頷いた。
「兄ちゃん渋いね。わたしなら、アスパラとごぼうとさつまいもかな」
静かに聞いていた弘恵は、あなたも十分渋いわよと心の中で呟いた。
「しかし、その先生も頭良いな」
と話し始めた光彦に、他の三人が顔を向ける。
「颯太、先生から『家ではちゃんと飯食ってるか?』って訊かれたら、どう思う?」
父親からの問いに
「ちょっと嫌な感じだね」
と颯太が答える。問題のない家庭でも何かを勘繰られている気になるし、たとえ問題がある家でも中途半端に首を突っ込まないで欲しいと思うだろう。
「中学生ぐらいの若者はね、心配されるのが大嫌いなんだよね。例えば『ちゃんと野菜食ってるか』とか『好き嫌いしてないか』とかも訊かれたくないだろ?」
との問いに
「ガキじゃあるまいし」
颯太が首を振る。
「SMAPの歌にさ、『育ってきた環境が違うから好き嫌いはしょうがない』って歌詞があるんだよ」
光彦のこの言葉をきっかけに、弘恵の脳内に『セロリ』が流れ始める。
あっ、と颯太が何かを思いついたように目を見開いた。
「逆に、好き嫌いがわかったら、普段の生徒の環境がわかるってことか」
颯太は天井を見上げて大袈裟に嘆いた。
「お祖母ちゃん家でも、たまに見たことない料理出てくるしね」
と美優が言う。実家と義実家、それぞれの食事を思い出しながら、弘恵も頷いた。
れんこん、とうもろこし、枝豆、それにアスパラ、ごぼう、さつま芋。弘恵は、地味な野菜を答える我が子たちに対して、夫が微笑んでいた理由を理解した。そして、なるべく季節の野菜を食べるようにしてきた弘恵の努力が報われた様な気がした。
「で、なんでこんな会話になったんだっけ」
微笑む美優が兄の顔を覗き込む。
美優は、たぶん気付いている。光彦もニヤつきながら食べ終えた食器をキッチンへと下げに行く。
そんな二人をよそに、颯太は食卓に独り残り、ゆでたスナップえんどうをぽりぽりと食べている。
幼稚園の頃からこの子は、スナップえんどうが大好きだったのだ。大皿で出した時、颯太は両親の食べる分など気にせずに食べ尽くした。その後はそれぞれの小皿に分けて出すようになったが、彼の分はひとまわり大きな皿に盛られている。
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弘恵は今日の昼、近所の八百屋、まるもり商店の店頭の黒板に『スナップえんどう』の文字を見つけた。そこで買った今年最初のスナップえんどうはもう、家族の腹の中に収まっている。
颯太はポツリと呟いた。
「忘れてたことが申し訳なくてさ」
弘恵と美優は目を合わせて笑った。
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