すなお君の人生が、僕に与えてくれたもの。〜どんなきっかけをも活かすという道〜
クロッキー帳に描かれたアヒルの絵を、今でも忘れることができない。
そのクロッキー帳は、おそらく今この世には存在していないと思う。
クロッキー帳は中学2年の時のもので、美術の時間にすなお君は僕のクロッキー帳にアヒルの絵を描き、こう言った。
「ぼく、グラフィックデザイナーになりたいんだ。」
すなお君はみんなを取りまとめるのがとてもうまいので、学級委員を選出される時には必ず名前が挙がっていた。中学校に入っても、おさるのような仕草をしていたけれど、それはとても利口なおさるだった。
クラスメイトからの信頼が厚く、常に愛されていた。サッカーが大好きで、ボールを追いかけている様は、おさるのジョージそのもので、目がキラキラと輝いていた。
みんなにシカトされていた僕は、ノートに心無い言葉をいつの間にか書かれている事が儘あったから、クロッキー帳に描かれたアヒルの絵を見て、僕はそれだけでとても嬉しかった。
それに加えて、すなお君は僕に夢を語ってくれたのだから、あれから25年経った今も鮮明に思い出す事が出来るくらいに、僕はあの日、とてもとても嬉しかった。
…
すなお君はあれから着実に夢を追い、叶えるための日々を生きていた。
僕はカフェで働いていることに最初こそ未来を思い馳せていたけれど、いつしかマンネリを感じはじめるようになり、先はとても不透明で暗闇だった。
そんな僕が生きていて、すなお君はこの世にもういないという事が、ものすごく違和感だと思った。僕がこの世に存在する事が、とても不服だと憤った。
mixiの記事を何度も何度も読み返す。
すなお君が作ったサイトを何度も何度も見る。
そんな日々が続いた。
…
カフェで出していたホットチョコレートは、細かく刻んだチョコレートに牛乳を加えて、それをスチームして提供していた。チョコレートにこだわりがあって、そのこだわりの板チョコを、時間のある時に細かく刻む。
板チョコを刻む音がとても好きだった。
ザクンザクンと心地よい音を鳴らして刻みながら、僕はこれから何のために生きるのだと考えた。
これから何のために生きるのだ?
そう何度も何度も自分に問うた。
何度も何度も問うていくうちに、その答えは、実は既にその年のお正月に決めていた事を思い出して、僕はハッとした。
…
「今年の目標を、叶えられなくても構わないから、思い切った事だとしても、決めて宣言してみようよ。」
そう友だちに言われて宣言したのは、とある専門職に就くという事だった。
その宣言を、実行するしかない。
それが、僕の今感じている〝不服”に対応できる手段だと思った。
それからすぐに、どうしたらその職に就くことが出来るかを調べると、資格が必要だということがわかり、その資格を取るためには、大学の短期講習を受けなければならない事を知った。
それで資格取得のための大学の短期講習を探してみたら、ギリギリ申し込みの締切に間に合った。結果、申し込みの時点で一度弾かれてしまったのだけれど、奇跡的に空きが出て講習を受けられる事になった。
…
働いていたカフェの店長にその事を告げると、とても驚かれた。
「ずっと、ひじき君を正社員にしたくて上と掛け合っていて、それが最近通ったところだったんだよ。」
まさかの言葉だった。
僕はそんなに店に貢献はできていないと自分自身感じていて、だからするりとここを辞めることになるだろうと思っていたのだった。
それからカフェのシェフにも辞める事を伝えると、
「やりたいことが見つかってよかったな!でも本当は、お前をキッチンに呼び込んで一緒に働きたいと思っていたんだけどな。」
と言われた。
まさかの言葉だった。僕はシェフにきっと嫌われていると、ずっと思っていたのだった。
新しいことに踏み出そうと決めて動いたら、今まで見えていなかった自分の評価を知ることになった。
辞めることに後ろめたさを少し感じた程だった。
すごくありがたいな。
そう思っていたある日、カフェに過去に一世を風靡した超能力者が来店して、白身だけのオムレツをオーダーしてきた。
僕はそんなの作ったことがなかったけれど、長く働いてオムレツには自信があったので、作って出した。すると超能力者はウェイターに僕を呼ぶように言いつけ、僕はドキドキしながらテーブルに向かった。
超能力者は英語でこう言った。
「こんな素晴らしいオムレツは初めて食べた!また日本に来た時には、このオムレツを頼むよ。」
僕は超能力者に、ここを辞める事とその事情を片言の英語で説明した。すると超能力者はとても残念な顔をして、それから僕にこう言った。
「何歳からでも、新しい学問の扉を開くことは素晴らしい事だ。君のオムレツが食べられないのは残念だけど、君の幸運を祈るよ。」
全世界を興奮させた超能力者に、こんな事を言われる日がくるなんて!何という事だろう。
…
僕は、これは全部、すなお君のお陰だと思った。
皮肉かもしれないけれど、すなお君の死をきっかけに、僕は改めて生きるということを見つめ直すことができて、そしてそれから素晴らしい出来事に見舞われた。
だから、これからは、すなお君の分まで生きてみようと、生きてやろうと、そう思ったのだった。
カフェのテラスに、
八重桜の花びらが散り始めていた。
〜つづく〜
…
つづきは、11月3日(木)にお届けします。
それでは、また。