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ネガティブとは「希望の種」である。

『今日、誰のために生きる?』の著者であるSHOGENさんは18歳のときに交通事故に遭い、それを境に性格がガラリと変わったそうだ。

僕は過去に車に2回跳ねられ、小学校の頃は歩道橋から木に飛び移ろうとしたらしくじって、4.5mほどの高さから真っ逆さまに落下するなどを経験したが、それを境に人生がガラリと変わったという印象はない。

ただ、どれも血が少しだけ出る程度の怪我で済んでいて、感覚的にだけれど、何かクッション的なものに守られているような感じがしたので、もしかしたらご先祖様が守ってくれたのかもしれないと思っている。

そのことを話すと、「そんなこと、あるはずがない」と言われる事がある。

なんというか、「ない」事が明確じゃないのに、なんでないと言ってしまえるのかと思うと悲しいし、ちょっとムカつく。

そうだ、
「そんなもん、いるわけないでしょう?」

と、そう言われて、
傷付いた事が子供の頃に何度かあった。

未来予想図を作るには、
子供の頃のワクワクと、それからとてもネガティブな体験も自分を抽出する要素として必要だ。

僕は、
一般的に「ない」だとか「ありえない」と言われている物事を、完全に無いと決めつけられるのが嫌だった。

サンタクロースに関しては
架空のキャラだと思っていたが、

例えば幽霊はなんとなく見えていて、なんというか、ふいに意識のピントが合ってしまうと見えちゃうみたいな。

そんな感じだったのだけど、
母からはその事を鼻で笑われた。それがすごく嫌だった。

けれども父方の祖母が亡くなった際、夜に祖母の存在を感じ、これは伝えておいた方が良いであろうと思い母に伝えた時には

「あら、会いに来てくれたんだねぇ」

なんて、しみじみ言われて、都合の良い奴だなと思った。

UFOや宇宙人なんて、
この広い宇宙にいないわけがないやろと思っていたのだけど、NASAがその存在を認めた現在も、信じていない人が多い。

何年か前に、知り合いとその息子さんとのドライブにお供させてもらい、森の温泉宿で一泊した時のこと。

息子さんは小学校低学年で、恥ずかしがり屋で、でも慣れるとすぐに馴れ馴れしくなって、たまに突っぱねたような態度をとる。ちょっと不思議な子だった。

その子と露天風呂に入っていたら、森に住んでいるリスが何匹もやってきて、それを見て可愛いねぇなんて話していたんだけど。
その時その子がとても子供らしい顔をして、リスを愛しく見て、それからちょっと間をあけて、僕に

「あの奥に赤い人がいる」と言った。

僕はそれが見えなかったので、
「その赤い人は怖い感じなの?」と聞いたら

「いや、怖くない。でもさ、見えるのは、変なことだよね。いないんだよ、ね」と言うので、

「僕は見えないけど、でも見えるんでしょ?見えるなら、それは確かにあるんだよ、僕が見えないだけ」と返した。

「変なのー」と言われたので

「変だよねー」と返した。

その時に、しみじみ、
小さい頃母に否定されて良かった、と思ったのだった。

ひとつのモノは、ひとつでも、
ひとつとみせかけ、実は人の数だけある。

見えないモノは、見えないが、
見える人もいるから、

「見えない見えるモノ」であるし、
「見える見えないモノ」でもある。

否定するのは
その奥底に「恐怖」があるからだと言うけど、
僕は、そこには「無知」もあると思う。

見える事を知らないだけで、
見えない事を知らないだけだ。

ネガティブな体験から抽出できる僕の願いは

◯見えないモノに光を当てたい

だ。

前回書いて抽出したワクワクは、

◯食べること
◯狸
◯マヌケで愚かな滑稽さ
◯人間の強欲
◯ひとりでも楽しめる世界

だった。

これで6つが出たけど、
これをどう要約するかを、次回以降考えていきたいし、もっと出そうだと思い付いたら出したい。

目標としては、節分までには自分の、今思う自分をまとめて、それを未来に繋げることをしたいなと考えている。

さぁ、どうなるかな。

アナグマの事を、みんな大好きだった。
けれどもアナグマはとても年老いていたので、
ある日、やっぱり死んでしまった。
アナグマが死んだ事をみんな悲しんだ。

それからすぐに冬が来た。

春、みんなで集まって、
アナグマの思い出を語り合った。

今日、誰のために生きるか。
忘れがちなその問いを、
今一度、胸に刻ませてくれる絵本。

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