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歩幅は違くとも地球は丸いからそのうち出くわすだろうと言ってお互い歩幅を変えずに笑えるような仲

昨日友人と話していたら、友人の好きなマーチングの話になった。

ビッグバンドが演奏をしながらその音楽にピッタリなパフォーマンスをするやつ。

息の合ったパフォーマンスはすごく綺麗だ。

僕はマーチングを観るのは好きだけど、自分があの中に入ると想像すると、途端に吐き気がしてしまう。絶対にやりたくない。

マーチングが好きな人の気持ちはもちろんわかるんだけど、僕は「一緒にやろうよ」と誘われたら、相手には悪いが不細工に笑って踵を返し、その場から全力で逃げたい。

小学校の頃、毎年、運動会の行進が本当に苦痛だった。

右足から始めろと言われ、右足を上げると右手も上がる。音楽には詳しくないが、演奏の雰囲気が変わるとそのイメージに引っ張られてしまう。何も考えないでいると、前の人にぶつかる。

周りの人と同じ事をすることに違和感があって、でも周りと合っていないと先生がものすごい顔で「全然合ってない!」と怒るので、周りとは違う変な人と思われないように必死で合わせた。

運動会の本番まで毎日、頭の中は「最初は右足、そんで腕は左」を繰り返していた。

運動会の前夜もしっかり頭の中で、

“先生が「行進、はじめ!」と言ったら右足を出して、そんでもって腕は左を出す“

いったん巻き戻して

“先生が「行進、はじめ!」と言ったら右足を出して、そんでもって腕は左を出す“

また巻き戻して

“先生が「行進、はじめ!」と言ったら右足を出して、そんでもって腕は左を出す“

もう一回!

“先生が「行進、はじめ!」と言ったら右足を出して、そんでもって腕は左を出す“

そうして朝を迎え、いざ本番で、先生が「行進、はじめ!」といったら右足と右腕をだすオーマイガッ!

おまいがっ!

そうやって数日の努力を毎年パァにして、小学校5年生でようやく成功した。

周りに合わせないといけないのだと刷り込まれつつも、合わせられるようになっても、行進のその違和感が消えることはなかった。

だって、この世は一斉に右足を出さなければいけない仕組みの世界じゃないはずだ、もん!

僕は悪くないのに、なんで怒られなきゃいけないんだっ。

って、
あの頃から思ってたのか、僕は。

周りに合わせて規律に従う事が心地よい人もいれば、
それを全く良いと思えない人もいる。

僕は後者で、
友人は前者だ。

友人は「わたしはオリジナルがなくて硬い人間だ」と言う。

僕はそれを聞いて、
本当にその通りだよなと思う。

が、友人はオリジナルがないからこそ、人の個性に敏感で、その人の個性に誰よりも理解を示す。

ちびまる子ちゃんだったら
僕がまる子で、
友人はたまちゃんだ。

僕はオリジナルを持っていて、でもそれは窮屈なものでもあって、だからそれを理解してくれる人がいるととても安心する。

そういうわけで、
僕と友人は仲良くやっている。

昨日、友人はマーチングについて熱く語っていたが、実は全部空返事をしていて、僕はその内容をほとんど覚えていない。

マーチングの話題を振ったのは
僕なんだけど、ねぇ。


ゾウとネズミだったら、
僕はネズミかなぁ?


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