チャチャ
煙突から煙が出ている。
空は霞んで青い。
それを、車の窓から見ていた。
窓のふちには小さな手が添えてあった。
これは、僕の手だ。
僕の小さな頃の記憶。
もっとも古い僕の記憶は2歳の頃。
新築の家にはベランダがまだなくて、居間の窓からの段差が酷かった。窓をガラガラと開けて、スズメがちゅんちゅんという庭を見て色めきだった僕は身を乗り出し、まんまと地面に落ちた。
真っ逆さまに落ちた。
僅かに見える床下の暗闇を見た。
その時の恐怖が、今もからだに残っているように思う。
家は父が勝手に決めてきたらしい。
ニュータウンと言われたその住宅地は、今では過疎化が進み、立派な家がたくさん立ち並んでいる。そこに住んでいるのは老夫婦ばかりだ。子どもの声は聞こえてこない。夏休みや年末になれば、孫と呼ばれる子たちが雑草のぼうぼうと生えた公園できゃっきゃと遊ぶ。砂場には犬のフンが落ちている。使用禁止になった遊具にロープが張られている。ブランコは錆びている。錆びたブランコが、キイキイと音を鳴らす。
今でもこの住宅地には、「ニュータウン」と言う名前が付いている。
引っ越してきたばかりの頃は、まだ家がぽつぽつと建っているだけの、まだ閑散とした住宅地だった。遮るものがない分、風は僕の家に容赦なく当たった。家を買ったばかりのご機嫌な父は、家に色々な人を招き、パーティーを催した。
「たくさん人が来るから、食器もたくさん必要だったの。」
35年後、母はそう言って食器を次々とゴミ袋に入れていった。
あの時代。
子どもが生まれれば名入れした重箱を。結婚すれば揃いのマグカップを。
当時は取り繕われた〝モノ”が喜ばれた。喜ばれ、大切にしまわれた。それが当時の豊かさだったのだ。今の時代にそれはそぐわないけれど、でも、当時のその価値感を否定するのは野暮だと僕は思う。
たくさんの食器をゴミ袋に入れる母の目は当時の思い出でいっぱいだった。それを誰が否定できるだろう。時代を生きた人に、「それは間違いだったんだよ」なんて、ナンセンスだ。
「あの時代のせいだ」と嘆く事は、今の時代を否定するに値するのじゃないかしら。
しきたりを重きにしていた当時の母は、
3歳の僕に父の靴を毎朝磨くように命じた。
毎朝、ボロ切れになった靴下を手にはめて、靴クリームを父の革靴に塗り込む。
父が出勤するときには、下の兄と僕と母が玄関に立ち、「いってらっしゃい」と言った。父は無言で家を出た。
それから僕は朝食を摂る。ご飯に乗せる桜でんぶが好きだった。パサパサとした甘いそれがご飯と合わさると、なんとも言えない幸福感があった。焼き魚は自分では解せないので、母にやってもらった。母が魚を解すのを、キラキラとした目で見ていた。(そのせいか、今の僕は、魚を解すのがやたらとうまい。)
味噌汁の具も毎日興味深かった。ふんわりとした卵の味噌汁。キャベツの甘い味噌汁。ネギと油揚げ。ほうれん草。お麩のとぅるんとした味噌汁。
幸せだった。
それから目玉焼き。固く焼いた目玉焼きに、ソースをかける。ソースが油を避けて流れる。それがキャベツの千切りにかかる。
幸せだった。
9時になると教育テレビの「おはなしのくに」という番組が始まる。人形劇で、様々な昔話や物語が流れる。
幸せだった。
それから庭で遊び、気が向くと外にお出かけした。今の時代では考えられないが、ひとりで勝手に出掛けていた。そこで友だちを見つけて遊んだ。さりちゃんと言う女の子の友達の家に行って、リカちゃん人形で遊んだり、山で山いちごを腹いっぱいに食べたり、アリやその他の虫も食べた。
これはキチガイだった。
その頃、家には「チャチャ」という猫がいた。
捨て猫で、拾ったはいいけど飼えないというとある兄弟が近所を回り、うちに来て、上の兄が飼いたいと懇願して飼い始めたトラ猫。全然懐いてくれなくて、何回も追いかけ回した。
一度、目を引っ掻かれ、最近までその傷痕があって話のネタにしていたが、今はない。
チャチャは毎朝家を出て、のらりくらりと散策し、夜にニャーと言って帰ってくる。その頃にはうちにはベランダがあって、チャチャはベランダでニャーと言った。家に迎え入れるとやっぱり誰にも擦り寄らず、どこで寝ていたかも定かでない。
毎朝靴を磨いて、父に「いってらっしゃい」と言った後、朝ごはんを目を輝かせて食べ、「おはなしのくに」をみて、気ままに出かけた。そこに、チャチャもいた。チャチャは僕に懐かなかった。
そのチャチャが、ある時どこぞのネコとケンカをして帰ってきた。血みどろだった。母は汚いと言って、チャチャをタオルを敷いた段ボールに入れて、ベランダの下に置いた。
僕の心は慌てた。
チャチャが死んだらどうしよう。
でも、それだのにすんなりと寝てしまって、次の日目を覚ますと、チャチャが死んでいると言う声が聞こえてきた。僕は居間のとなりの和室でいつも寝ていたから、声は耳に入る。
チャチャが死んだ。それを信じたくなかった。
靴を磨かなければいけないけれど、朝ごはんも食べたいけれど、「おはなしのくに」をみてから、ふらりと出掛けたいけれど、
今日ばかりはずっと寝ていたいと思った。
ふわふわとしていた。
気がつくと車に乗っていた。後部座席に段ボールが乗っていた。
ふわふわとした。
次に気がつくと、
僕は煙突から出る、煙を見ていた。
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