お手紙を書くということ。
最近、やたらとお手紙を書く。
卒業シーズンも相まって、バタバタと退職者が出る。
企業にとって、新陳代謝は良いことだと思っている。退職者それぞれも、会社に対して負の感情を抱いて辞めていくわけではない(と、わたしは信じている…)ので、みんなの人生をポジティブにするために、なくてはならない通過点なのだと感じる。
たとえ通過点だとしても、ここまで苦楽を共にしたじゃないか。
あなたの人生に少しでもなにか影響を与えられていたらいいな、そんな想いを込め、締めとしてお手紙を何枚も綴る。書きながら、あぁわたしってこの人にこんな感情を抱いていたんだな、と相手に対する愛おしさを再確認する、そんな時間だ。
そして明日からは、強制的な接点がない関係になることを寂しく思いつつ、だからこそこれからも連絡を取り合いましょうね、と締めくくる。
わたしは、 "Let's keep in touch" という英語の表現が好きだ。連絡を取り合おうね、というイディオムだが、直訳すれば「接触しつづけようね」という、なんとも形容できぬ気持ち悪さが先行する。でも、そのくらいあなたとの関係を終わらせたくない、という泥臭い必死さが伝わる気がして、この慣用句が好きだ。
だから、わたしの「連絡をとりあおうね」は、「手が触れられる距離に、いつでも駆けつけられるような関係でいようね」という重さを孕んでいる。メンヘラでごめん。
思い返せば、わたしは幼少期からお手紙大好き芸人であった。
きっかけはなんだったか。
もう思い出せないが、なんとなくチラシの裏に絵を描いて、親にプレゼントすると大層喜んでくれたことが起源な気がする。
その後、幼稚園や小学校を経て、文字を覚えてからは、伝えたいことを明確にできる手紙という手段にすり替わった。
今思えば「ママ、パパ、だいすきだよ!」という簡単な内容なのに、書いているとこちらも幸せだし、相手から"喜び"の反応がもらえるのも嬉しかった。
親の都合で小学生の頃、海外に移り住んだ。
英語もほぼわからないし書けないのに、なぜかとにかく文字にしたくてたまらなかった。
ありがたい事に、厳しくも心優しい先生たちに恵まれた。毎日辛かったけれど、どうしても先生に「大好きだよ!」ということを伝えたかったのだと思う。しかし、日本語もしくは拙い英語しか書けず、納得いかない手紙が引き出しに溜まっていくばかり。それでも手紙らしきものを書き続けた。確か一斉大掃除か何かの日に、書きかけの手紙ぜんぶが先生に見つかり、「これはわたしのものね」と無事回収された。
当時の私にとって未完成だが、可能な限りの愛のことばを書き連ねた手紙たちをハプニングながら受け取ってもらえて、気恥ずかしいような嬉しいような。
冷静に振り返ると、当時から軽いメンヘラムーヴをかました小学生である。あの頃にして今の我あり。
お手紙は、あざとい。
手紙の宛先は、たいてい1人である。
あなただけのために、便箋とペンを用意し、文章を試行錯誤し、さらに「書く」という能動的動作を加えた。
わたしは、手紙を通して、あなたと真剣に向き合った。あなたのことだけを考え、あなたがこの想いをどうか受けとってくれますように、と願いながら文字を紡ぐ。
お手紙を書くという行為は、上記のように、「書いている間は、あなたのことで頭がいっぱいでしたよ」と、好意を仄めかすことだ。
直接的に見せないというやり方が、とてもあざとくて、可愛い。一方で、好かれたいという醜さが見え隠れする、人間くさい愚かな行為だとも思う。わたし一生メンタル不安定だな、今回の記事。
この人間くささに、最近のわたしは飢えている。
SNSやインターネットで、超簡便的に文章が送れる今日この頃。同じ言葉なのに、なぜか軽薄に感じる文字の並びに、辟易しているのかもしれない。
画面の文字だけじゃ伝わらない「人間らしい気持ち」にダイレクトに触れることができるコンテンツはやっぱりお手紙しかないのだ。
でも、手紙書くの、超疲れる。
そりゃそうだ、限られたスペースに、想いや思い出、伝えたいこと、ぜーんぶわかりやすく、簡潔に。しかも起承転結つけて書かなければならないのだから。
毎日パソコンでカタカタ文字を打つ日々、ペンを持つこと自体も疲れる。慣れないことすぎて字も汚くて恥ずかしい。なんで幼少期のわたし、あんなに狂ったように手紙書いてたんだ。超人か狂人か考えなしか?
けれど、その大変さを全部ひっくるめても、あざとい行為だと笑われても
わたしはこれからもお手紙を書き続けると思う。
お手紙を書くと、不思議と自分も、今まで以上に好きになれる気がするからだ。どういう仕組みかは分からないので、どこかで誰かが研究してないだろうか。論文があったらぜひ教えてください。
ちょうど、今日、2通お手紙を書いた。
いずれも会社を卒業してしまう人たちに向けて。
1通はお世話になった先輩に、もう1通は一緒に仕事をした後輩に。
せっかくなので、普段口に出して言わないことを、可能な限り素敵な言葉でつづりたい。
そう想って、うんと捻り出そうとするのに、出てくる言葉はかなり単純な言葉たちだった。
「あなたのここが好きだよ」「ここを尊敬していたよ」「とっても寂しいよ」「これからも仲良くしてね」「また会おうね」
伝わるといいな。
ストレートな言葉に隠された、細やかな感情の機微まで。そう願いながら、封を閉じた。