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【第65回】私人間効力~アクセス権① #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話


アクセス権とは

「知る権利」がメディアに対して向けられて、アクセス権という主張がされたということから、私人間効力の問題に派生しましたが、再びアクセス権の問題に戻りたいと思います。

アクセス権は、狭い意味においては、①名誉毀損を理由とする不法行為に対する救済方法としての反論権の意味で用いられることもありますし、さらには、②不法行為の要件を満たさない、つまり名誉毀損などを要件としない反論権という広い意味で用いられることがあります。

アクセス権の主張が登場してきた背景として、「送り手」と「受け手」の乖離があったわけですから、不法行為の救済手段という狭い意味ではなく、情報の「受け手」を「送り手」へと立場を交代させるという広い意味でのアクセス権というものが成り立つのか、ということが特に問題とされました。

サンケイ新聞事件

昭和48年12月2日、サンケイ新聞に、自由民主党が日本共産党に対して意見広告を全7段の大きさで掲載しました。

これに対して日本共産党は、この広告の内容は日本共産党の主張を歪曲して中傷するもので、読者・国民に対して誤解を生じさせ、政治的信頼を低下させたとして、憲法第21条の言論の自由や、民法第723条の名誉毀損に対する原状回復を根拠として、サンケン新聞紙上に全7段で反論文の掲載を請求しました。

第723条 他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。

民法

この事件で、最高裁は、「政党間の批判・論評は、公共性の極めて強い事項に当たり、表現の自由の濫用にわたると認められる事情のない限り、専ら公益を図る目的に出たものというべきである」として、名誉毀損の成立を認めませんでした。ですから、この事案は、名誉毀損という不法行為を要件としない、広い意味でのアクセス権の問題、反論権の問題ということになります。

最高裁は、「……不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、……反論文掲載請求権をたやすく認めることはできない」としました。

判例の「解釈」

個々具体的な条文の解釈についてはこれまでも説明してきましたが、法律の世界では、判例についても「解釈」が必要になる場合があります。

この事件の最高裁判例には、「解釈」の余地が多分にありますし、検討しなければならない課題が何点かあります。

最高裁は、具体的な法律の規定もないのに、不法行為を要件としないアクセス権、反論権はたやすく認められない、といっているのです。先例としての意義についてはそれ以上のものはありません。

「解釈の余地」というのはまず、反論権という制度を法律で定めることはできるのか、言い換えれば、不法行為を要件としない、反論文掲載を認める法律を制定することは、憲法違反にならないのか、ということです。

「具体的な法律がないから反論権は認められない」といっておきながら、これを認める法律を制定したら、憲法違反だ、というのはあまりにもご無体な話です。ただ、判例の理由を読むと、どうもそのご無体なことを言っているようにも読めるのです。

他方で、不法行為が成立した場合に、その救済手段として反論権あるいは記事の訂正文の掲載を求めるという意味でのアクセス権が認められるか、についてはその余地があるようにも読めます。名誉毀損が成立した場合に「謝罪広告」を掲載することについては、「謝罪」という倫理的な表現を強制することも思想・良心の自由を侵害するものではないとした判例もあります。それぞれについて、別途検討してみたいと思います。

★脚注

「学説上は、これを一般的アクセス権限定的アクセス権とに区別し、さらに前者を①自己の意見をマスメディアを利用して伝える権利(最広義のアクセス権)と②マスメディアが一つの見解を伝えたとき、それと異なる意見をもつ個人・団体が自分たちの見解を伝えるよう要求する権利(広義のアクセス権)とに区別し、後者を③記事や放送により批判・攻撃を受けた者が、名誉毀損にならない場合であっても、同一メディア、同一スペースを使って反論する権利(広義の反論権)と④名誉毀損がなされたとき、その侵害の救済手段の一つとして反論を要求する権利(狭義の反論権)とに区別するのが一般的である。①②を概括してアクセス権と総称し、③④を反論権と概括することもある。」という分類がされることもあります。右崎正博「メディアへの市民のアクセス」『表現の自由の現代的展開』122頁(日本評論社・2022年)参照。


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