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【第7回】法の支配と立憲主義 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

絶対君主の時代を「人の支配」と表現してきました。これは、「法の支配」と対比される事柄です。

絶対君主の時代にも、議会があり、法律を制定したりしているのですが、この場合の「法」はあくまでも権力者が国民を支配するための道具にすぎません。国王という「人」の下に法があるということです。

「法の支配」は政治権力といえども「法」の下にある、という考え方です。このような考え方は、この時代になって突然主張されたのではなく、実はイギリスで古くからはぐくまれてきた考え方なのです。

イギリスは、コモン・ローの国だといわれます。これは、中世から、裁判所の判決が繰り返され、その裁判例の積み重ねが法的拘束力を持つという慣習に基づいています。議会が制定した「法律」という法形式、つまり成文法に対して、裁判例の積み重ねであるルールを不文法、コモン・ローといいます。イギリスでは、過去の判例研究などを行うことにより、神の法、自然法に到達することができるのだという考え方があります。

このコモン・ローが確立したのは、マグナ・カルタ(大憲章)の時代です。マグナ・カルタとは、イングランド国王の権限を制限した63箇条の法で、1215年に制定されています。


この時代の法学者にブラクトン(1216?~68)という人がいます。この人が言ったとされる言葉に、「王は何人の下にも立つことはない。しかし、神と法のもとには立たなければならない」というものがあります。まさに「法の支配」を表した言葉といえますが、イギリスがその後、この言葉を実践し続けたしたわけではないことはのちの歴史を見れば明らかです。

時代は下って17世紀。国王ジェームズⅠ世が国民に重税を課し、新興市民階級、ブルジョワジーと対立した事件の裁判で、エドワード・コーク(1552~1634)という裁判官が、ブラクトンの言葉を引用して法の支配を強調したとされています。過去の事案が「再発見」されて、引用されるところに、コモン・ローの国らしさが表れているように思われます。

ところで、イギリスには憲法がないといわれることがあります。いやしかし、英語のconstitutionの日本語訳が憲法のはずですから、イギリスに憲法がないというのはおかしなことのように思われます。これは、「憲法」という名前をもった法形式、ルールがないというだけのことであって、政府や議会、権力行使のありかたなどなどが、数百年にわたって続く判例や慣習が法的確信をもってルールとされています。これがconstitution 、憲法として通用しています。このことを指して、イギリスは不文憲法の国、日本やアメリカは成文憲法の国、といわれるのです。

ちなみに、1215年、日本ではまだ鎌倉時代に制定されたマグナ・カルタは今でもconstitution の重要な一部を構成するとされています。さすがは民主主義の国、イギリス、おそるべし。

このイギリスの「法の支配」は、アメリカに受け継がれ、そこでは議会が制定した法律も裁判所の審査に服する、という違憲審査制という制度に発展することになります。

モンテスキューは、「法の精神」のなかで、「すべて権力をもつ者はそれを濫用しがちである。かれは極限までその権力を用いる。それは不断の経験の示すところだ」言っていますし、アメリカの独立宣言を起草したトマス・ジェファーソン(1743~1826)も、「信頼はいつも専制の親である」という言葉を残しています。このような考え方は、近代になってから生まれたものではなく、古代ギリシャにその萌芽が見られるといわれています。また、政治権力を「法」によって正統性を担保し、統制するということは共和制ローマの時代に実践がされていました。このような伝統があったからこそ、13世紀という昔に、ブラクトンのような考え方が生まれてきたのではないでしょうか。

絶対王政を倒し、国民を代表する議会の存在と法の支配などが確立していく一方で、成文憲法を多くの国々が採択していきます。近代立憲主義はこのようにして確立していきます。権力を分立して人権を保障し、政府の行いについても「法」の枠内にとどめるという考え方に示される、「法」というのは、憲法の枠内で、ということになります。

「憲法って何だ?」ということの1つのポイントとして、刑法や道路交通法のような「法律」が、国民を縛るものであるのに対して、憲法は政府の行動を縛るものである、ということです。このことが理解できれば、もう、憲法学の入り口にたどり着いたといってもいいと思います。

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