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【第55回】改めて表現の自由とは何を保障しているのか⑧ 知る権利(わき道にそれて犯罪報道について③被害者の氏名の公表について) #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話


行政法における公表について

行政法の世界では、「公表」という制度が制裁的意味合いで重要な場合があります。

たとえば、障がい者の法定雇用率を遵守しない場合に企業名を公表するような場合(障害者の雇用の促進等に関する法律第47条)などです。

これは比較的近年、有効性が強調されている制度です。資本の論理からすれば、法律を順守するよりも罰金を支払った方が経済的合理性に適うということがあり得ます。罰則で法の実効性を担保しようとするのではなく、むしろ企業に対する制裁としては企業名の公表によるイメージダウンの方が大きいことから、導入されている方法です。

もっとも、コロナ禍で休業要請に応じないパチンコ屋さんを公表したところ、かえって行列ができたという例を思い浮かべる人もいるかもしれません。結果は逆効果でしたが、県としては、制裁のつもりで公表したこともまた事実です。

京アニ事件を考える

行政法における「公表」制度の問題は、企業に対して法の実効性を担保するにはどうすべきかという古典的な議論に対する比較的最近の1つの解答です。

しかし、警察も行政の一翼を担っていますから、法律の理屈は同様なはずです。そして、容疑者の氏名などの公表は、制裁的意味合いを持っていないでしょうか。無罪推定の原則が憲法上のルールであるとすれば、このこと自体疑問の余地があります。

ましてや、被害者の氏名が個人情報にあたる場合について、同意がなくとも公表しうるとする理屈はないように思われます。

2019年に、京都アニメーションの第1スタジオに放火され、多くの犠牲者が出るという痛ましい事件がありました。京都アニメーションは、遺族のプライバシー保護を理由に、被害者の実名報道を控えるよう要請したことから、京都府警は京アニと協議して対応したことがありました。

遺族の間でも、意見が分かれていると京都府警は発表し、最終的には実名報道を見合わせたメディアもあった半面、遺族の意向を無視して全員の氏名を報じたメディアも少なくありませんでした。

公表したメディアは、「事件の全体像を明らかにするためには実名報道が不可欠」という趣旨の声明を発表していますが、私には一方的な思い込みのように感じられます。百歩譲って、その通りだとしても、事件の全体像を明らかにしようという報道の自由の価値が、絶対的に個人情報の価値を上回るというのは、憲法の人権論の観点からも、あり得ないことと言っていいでしょう。

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