【第6回】革命によって何が勝ち取られたのか? #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話
1776年7月のアメリカ独立宣言に前後して、同年6月にはヴァージニア、11月にメリーランド、12月にノース・カロライナ、翌年7月にバーモント、1780年3月にマサチューセッツで、憲法が制定されます。この時代に、統治機構に関する規定と、権利章典ないし人権宣言の規定が憲法に盛り込まれるようになりました。
世界で初めての成文憲法であるヴァージニア権利章典1条には、
と宣言されています。
そして有名なアメリカ独立宣言には、
とされています。
天賦人権論など、啓蒙思想の影響が大きかったことがうかがえます。こうしたアメリカでの人権宣言は、のちにフランス人権宣言に影響を与えることになります。
ルソーが迫害のうちに生涯を閉じた11年後、フランスでは市民革命が起きました。ルソーが否定しようとしたアンシャン・レジーム体制の特徴は、王権神授説を背景とした絶対君主の存在、つまり人の支配による法の執行の恣意性、刑罰の過酷性、封建的土地所有と身分制、さらに税徴収の不公平さ、などなどです。
1789年のフランス人権宣言に天賦人権、平等権、国民主権や所有権が神聖不可侵の権利であることが謳われているのは、このような歴史的背景があります。
アメリカの人権宣言に影響を受けたフランス人権宣言ですが、近代の政治史・憲法史において、模範とされ、「世界を一周した」と言われるのはフランス人権宣言でした。高校の教科書、山川の世界の歴史Aにも、フランス人権宣言の抜粋が掲載されています。
山川の世界史には出てこないのですが、
というのもあります。
どうでしょうか。歴史とか、思想的な背景を物語として理解したうえでフランス人権宣言を読むと、これまで教科書で眺めていたのとはまた違った印象の文書に見えるのではないでしょうか。法学の勉強は暗記ではなくて背景にある原理やストーリーについて理解することだということを感じていただければ幸いです。
ところで、人権宣言に「所有権」というのがやけに強調されているように見受けられます。その理由について、ブルジョワ革命だったからとか、封建的土地所有に対するアンチテーゼなのだとか、いやいや、ここに言う所有権というのはもっと広い意味があるのだとか、いろいろな解釈があるんですが、大事なことは、人権というのは、哲学者や思想家が純粋に思索をめぐらせて論理的にたどり着いた、というものではなく、その時代の社会・政治体制に対する不満や批判から、勝ち取られたものだということです。
アメリカでは、憲法に法の下の平等が規定されていたにもかかわらず、黒人の隔離政策は20世紀中ごろまで正当化されていました。白人と黒人の平等を求める公民権運動などにより、隔離政策は憲法違反とされるのですが、このことは、人権宣言や憲法が制定時には認識されていない「人権」も、のちの運動により獲得されうる、ということです。
現代でも、社会や制度に対してLGBTの当事者の方をはじめとして、生きづらさを訴えている方々がいらっしゃいます。おそらく、人間の社会が続く限り「人権」は獲得され続けるものと思われますが、そのためには声を上げていくことが大切です。これまで見てきたように、人権は机上の論理で生まれてくるものではないのですから。
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