古民家別荘オーナーの住職を電撃訪問したら、人生が変わった話。
ひとは、極限状態に置かれると五感が研ぎ澄まされる。
どん底で出会った住職が、仏の化身ならぬ「福の神」だったとしか思えない件について。(再現性ゼロの極私的エピソード)
”限界集落”に移住。
結婚と同時に「限界集落」に移り住んではじめての夏。
仕事はない。時間はある。
28歳。幸い住めるようには義母が直してくれていた築160年超の古民家の手入れや草抜きをしながら、これからどうやって暮らしていくか自分たちなりに精いっぱい考えていた。
妻の血縁もあり地域の一員としては受け入れてもらえたけど、「なんの仕事してるんや?」と聞かれると返答に詰まる。
日中は、敷地内でそわそわと過ごす。日が暮れたら夕食をとり、ひたすら話し合う。お酒を買う余裕なんてない。facebookで同世代の仲間の活躍を見る。焦る。
たしかに生きているけれど、社会から切り離された舟の上にいる気分だった。
レールを降りたらどうなる?
振り返れば、頑丈に見えるレールの上を歩いてきていた。
現役で入学した一応有名私大を卒業して、そこそこ大手の広告代理店に新卒で入社し、大手デベロッパーのブランディングチームに配属されてその後も経験を積ませてもらった。
(たくさん叱られたし、正直戦力にはなっていなかったけど、、この場を借りて、育てていただいたチューターや上司、クライアントの皆様には改めて感謝)
しがみつけば会社には残れたし今もどこかに席はあるだろう。だけど、その土俵で勝ち抜けるイメージがどうしても湧かなかったし、赤坂のビルの5Fで経験した震災以降、東京に居続ける理由も見失っていた。約1年の自問自答を経て、自分が壊れる前に退職することを決めた。
教員である父の影響もあり教員免許は持っていた。自然な流れで転身を考えたけれど、実際に教員採用試験の選考が進み、毎日職員室に通う日々が現実味を帯びてきたところでまたその未来が描けなくなった。
同じ失敗は繰り返したくない。
組織で働くということ自体、次に自分が選ぶべき道ではないように思い、覚悟を決めた。つまり、いったんは「無職」になるのだ。
そんなとき、そんな僕を生涯のパートナーに選んでくれた妻の存在は大きかった。
衝動と行動
家を覆い尽くすように緑が生い茂るなか、延々と蝉が鳴く。
その日も、砂利の隙間に刃先を入れ雑草を取っていた。
ガソリン代にも窮していたので、出会いがありそうだと思ってもイベントに出かけるのをためらうような時期だ。(文字で見返すと本当に悲惨きわまりない)
田んぼのカエルや鳥たちの鳴き声にまじって、明らかに異質なムーディーで甘美なジャズの旋律が耳にすべりこんできた。
ピンと来た。噂にきいていた、あの住職だ。
なんでも、セカンドハウスとしてここの古民家を手に入れ、お寺のある某都市部からときどき通っているという。
なにが起こるか分からないけど、出会えばなにかが起こるかもしれない。
「今や!!!」
草刈り鎌と軍手を放り投げ、妻を呼び、一目散に音の鳴るほうへ向かった。
今だったら、ワンクッションか数クッション置いてから行動するだろう。だけど、ミュージシャンの1stアルバムのような"移住1年目のエナジー"が、その制御を妨げたのだと思う。
住職との出会い
細い路地を抜けて、敷地へ。
ビンテージの真空管アンプ経由と思しきふくよかな音色(のちにケニーGと知る)は、やはりその一室から流れていた。
BGMをバックに立つのは、防護のフェイスガードを被り草刈機を持つ男性。
おそるおそる近づいて、頭を下げる。
「あのぉ、、近くに住む者なんですが・・・」
「はぁ。どなたさん?」
フェイスガードの下には、「お坊さん」のイメージとは遠い豊かな白髪をたたえたハリソン・フォード似の好々爺のお顔があった。
どこからどう見ても不審きわまりない僕たちの訪問を拒むことなく、「まぁ座りなさいね」と道具を置き、縁側へいざなうハリソン住職。
一連のいきさつを話すと
「きみ、おもろいなぁ〜!ハッハッハッハ HA HA HA HA」
と豪快に笑い飛ばしてくれて(文字表現の限界)、それだけでもなんだか救われた気がした。
「ここの草刈り、シルバー人材センターに頼もうかと思ってたとこなんやけど、そんなに仕事ないなら、君やるか?前払いや!」
断る理由なんか、あるはずがない。
封筒に入った現金3万円。あとにも先にも、紙幣一枚一枚をあれほど重く感じたことはない。
福の神
以後は、別荘に来られるたびに
「きみ、このあと暇か?」
あちこち連れ回していただき、ほんとうにたくさんご馳走になった。僕らの困窮した状況を見るに見かねて、施してくださっていたに違いない。
美食ツアー自体もほんとうにありがたかったけど、道中や食事の会話がそれ以上に刺激的で学びの多いものだった。
「人気商売」であるお寺の仕事を軌道に載せるためにどんな努力を重ねているか、一流のものと接している人ならではの世の中へのまなざし、ご職業ならではの活字にできないエピソード・・・本やネットでは得られない濃厚な学びの時間がそこにはあった。
住職と出会ってから、不思議と少しずつご縁がつながり状況が静かに好転していった。姫路城近くのブックカフェを受け継ぐことになった知人から、1フロアを破格で借り受けられることになり、悩んだ末に「ライター/コピーライター」として再出発。なりゆきで個人事業主になり、その後は体感1.5倍速の濃密な年月を過ごして現在に至っている。
残念ながら住職はその古民家を手放してしまったけれど(夢多き人なのだ)、今でも田んぼ越しにあの窓を見ると、真空管仕込みのケニーGが聴こえてきた日を思い出す。
科学的根拠はなにもないけれど、移住1年目の夏の住職との出会いがなければここに住み続けられていないかもしれないし、いまの自分はないと断言できる。
あの時、あの場所には、たしかに「福の神」がいた。
最後に
チャンスだと思える瞬間が来たら、だれにも遠慮することはない。オトナになったら、自分の人生は自分で守るしかないのだから。
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