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「母の命日」他(通常号 第28号・2002年10月11日発行)

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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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-----------------------通常号 第28号・2002年10月11日発行 ----
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☆今週は、5年生トラック
 1981年度北海道富良野市立鳥沼小5年学年通信「つながり」より
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★母の命日

 23日、秋分の日は、私の育ての母の命日です―もう二十二年前ですが―。家内と娘がお寺に「おはぎ」を供えに旭川に行き、帰路ムスコの下宿に寄ってきました。

 ムスコは“部活の剣道を今まで「サボらず」に真面目(まじめ)にやったので、25日からの期末試験の勉強をしろ”と先輩に言われ、珍しく下宿に居たという。

 “勉強しろということは、自然的に「お前は新人戦の選手ではないぞ」ということなんだよ、お母さん”

 朝、階段を踏(ふ)み外(はず)してころげ落ちたといって体中あちこちに青タンをつくっていたという。選手になれなくていい。「ころげ落ち」たり「はねられ」たりだけしないでほしい。

 「親に心配をかけないことが親孝行というものだぞ!!」と心の中でどなりながら亡き母を偲んだ一日でした。

(1981年9月29日)

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★教室寸描

一、Yくんが 休みました。<月ようび> 6、7と旭川に出張していて、8日に久しぶりの対面。

 “Y、ズル休みしたな”
 “ちがいます”
 “ちがうって、ぢゃ どうして休んだの”
 “かぜ です”
 “かぜ?”

 そこですかさず、H君、Tくん
 “「かぜぐらいで休むなんて いくじがない」”


二、収(しゅう)かくした じゃがいもを大中小に分けながら 数をかぞえる。

 “これが「いも」でなく、「金のかたまりとでもいうのなら」”
 “みんな億萬長者”

 天皇御誕生八十年記念の金貨が 純金製50gのもので参拾萬円也だから―
 36㎏のこのいもが金塊なら……。計算できないわ。

  嗚呼(「ああ」と読む)ひと粒(つぶ)でも~~。


三、“先生や友だちの話によると 近ごろ 五年生の道徳がすたれて……”「日記」を出すものがひとりもいない。

  みんなが出さなきゃコワクナイ!! かな。


四、“先生、この字、なんて読むんですか。”
  “「おこずかいは、いくらもらっているんだい?」”


 ―学芸会の劇“みんなの力で”の後遺症(こういしょう)のころごろです―

(1981年10月9日)

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★詩吟

「妻臥病床兒泣飢」 “妻(つま)は病床に臥(ふ)し児(こ)は飢(うえ)に泣く”

 ・家内が、熱を出して寝込んでいます。娘は夕食をとらずにプールへ行って2時間泳ぎ、私は、戸棚(とだな)を引っかきまわして、「ひやむぎ」をゆでてつるつるとかき込み、弓の練習に――。<18日、審査を受けます>


「人生五十愧無功」 “人生五十功(こう)無きを愧(は)ず”

 ・五十までにあと3年。功―功績―など立てられるメド全くなし。


「豹は死して皮を留(とど)む…人生限り有り名尽くる無し」

 ・豹でなく猫でも役立つというのに…オレは…

 詩吟をかじって人生の侘(わび)しさ一段の秋です。嗚呼!!


(1981年10月9日)


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☆来週は、6年生トラック
1982年度・富良野市立鳥沼小学校6年学年通信「つながり」より

☆このメールマガジン版では、明らかな間違い以外は、筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。

山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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◆編集後記「千鳥足」◆

 今回発行分の原典を読んでいて、「そういうこともあったなあ」と、思いました。しばらく忘れていたのが、父が詩吟をやっていたということです。確か、当時の富良野警察署長が、同じ詩吟の会に参加しておられたはずです。そう聞いた覚えがあります。父が詩吟を始めたきっかけは、全然覚えていないのですが、家の中で、時々うなっていた(?)ことは、かなりはっきりと記憶に残っています。

 もう一つ、これも「警察つながり」。「★母の命日」に出てくる剣道の話。私は、小学1年の時から剣道を始めました。中断しながらも、高校2年の途中(米国留学の直前)までは続け、二段をもらいました。就職後、福井支局に配属された時には、福井県警察本部の機動隊員で剣道を専門とする方々に、稽古をつけてもらったこともありました。

 福井では、二段を持って採用される新人警察官が少なかったそうで、よく「新聞記者やめて、警察官にならんか」と冗談半分に言われました。福井県警の田中一憲・剣道師範(当時)には「段位を上げてから、転勤したらいい」とも励まされました。しかし、駆け出しの記者には、仕事以外の時間をひねり出すことがなかなかできず、稽古に通えず、昇段試験を受けることもなく、今も二段のままでいます。

 ただ、1度、2度と竹刀を交えたことは、後に生きました。私は数年後、大阪本社の運動部に異動して、たまたま剣道も担当になりました。都道府県対抗などの全国大会の取材の際、福井でお世話になった方にも何度かお会いし、懐かしく話をした覚えがあります。

 私は剣士としては弱く、高校の剣道部ではずっと補欠でした。これは、本当に悔しい思い出で、今でも「(正選手になれそうな)別のスポーツをやればよかったかな」と、少しは思います。でも、そういった経験があったからこそ、社会に出てからも役に立ちました。警察官には、必ずしも好かれない立場である新聞記者という職に就く者なのに、すぐに名前も顔も覚えてもらい、今も、ずっと忘れずにいてくれています。

 背景として、両親が体育の教員だったことが、きっかけとしてあります。それ以上に、いろいろな競技をかなり自由に(ほとんど強制することなく)、経験させてくれたことが、大きかったと思います。それに、子どものころに育った風連町や名寄市などが、地域スポーツの盛んなところで良かったと思います。

(発行者・山口一朗)

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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
        yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「鳥沼公園」makieniさん撮影。
鳥沼小学校に近い公園で、この写真は「photoAChttps://www.photo-ac.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。

■「おことわり」

 「★教室寸描」の原典では「Yくん」「H君」「Tくん」は固有名詞が入っていましたが、この復刻版ではイニシャルとしました。 
 ☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。(編集者・悟風のムスコ)

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