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2025年2月書評王(芥川心之介)  『DTOPIA』 安堂ホセ著   

 富豪が開催する美男美女の恋愛リアリティショー『DTOPIA』の2024シリーズ。フランス領ポリネシアを舞台とし、出身国の異なる十人の男が唯一のヒロイン・ミスユニバースを奪い合うゲームが開催される。しかし、このゲームにおいて描かれるのはただの色恋沙汰ではない。参加者の人種の違いを発端とする争い、1900年代にポリネシアで行われた約二百回にも及ぶ核実験、ゲーム中に発生する犯人不明の暴行事件、視聴者による参加者への誹謗中傷や性的搾取と、歴史的なものから現代的なものまで、様々な問題が取り上げられる。

 作品の中盤で、参加者の一人、井矢汽水(キース)の幼馴染であるモモが物語の語り手であることが発覚したところから始まる中学生時代の回想では、性的マイノリティの実状が切実に表現される。当時、自分が成長して男の体になっていくことを気持ち悪いと思い始めたモモのために、キースが手荒い手法で片方の睾丸を摘出した。それを知ったモモの父は強い憤りを覚え、キースの家を訪れる。しかし、キースは一歩も引かない。

〈別にお父さんだって、何もしないってこと、ないですよね。手術とかそういうのをさせないってことをしてますよね。〉

〈あわよくばそのまま男でいて欲しいって思ってんじゃん。〉

 性の悩みをもつモモへの優しさ、ともとれる睾丸摘出だったが、以降キースは別の目的で何人もの男の睾丸を摘出することになる。睾丸にスピリチュアルな効果を信じる者たちへの販売、睾丸摘出による拷問。アンダーグラウンドを渡り歩きながらキースが試したことは、暴力から暴を取ることだった。医師免許を持たない人間が人体を切り裂いて睾丸を摘出するという行為、そしてその欲求が、否定的な暴力ではなく肯定的な力となる場所はないか。そんな苦悩の果てに、キースはDTOPIAへ辿り着く。

〈これまで身体を棄損する過程で分かったのは、どんな人種の身体も、自分に少しずつ似ているということだった。血はみんな赤い。肉はみんなピンク色だった。骨は白い。〉

 キースの仕事仲間であるダイモンが言うように、人類は一人ひとり全く違うように見えるが、身体の大部分を占める皮膚の内側はよく似ている。この回想シーンにおける身体の棄損や疼痛は、読んでいて体が震えるほどに過激な身体的描写であるが、その鋭さは読み手の皮膚を切り裂き、ここまでに描かれた様々な問題もろとも皮膚の内側に浸透してくる。

 本作は描かれるテーマの数が多いためやや窮屈にも思えるが、作品全体として現代社会の情報量増加傾向とそれに伴うファスト化を表現しているともいえる。作中にも、このような現代性を表すシーンがいくつかある。例えば、DTOPIAは四十台近くのカメラで様々な場所を撮影した膨大な撮影データを特設サイトにアップロードしており、視聴者はシーンを並行して見比べたり、好きに編集したりすることができる。また、語り手が近年の名作映画の多くを〈二十世紀に白人が残した負の連鎖をセルフ懺悔するコンセプトを持っていた〉とする場面では、〈もう誰も本編を観ない。しんどくてめんどうな時間を一方通行に、まともな速度で過ごしたい人なんて私たち観客のなかにはほとんど残っていない。コンセプトだけでいいのだ。〉という言葉もある。内容のみならず構成まで現代的な最新鋭の世界文学として、安易に一部を切り取られることなく、大切に読まれてほしい一冊だ。

      発表想定媒体 純文学系文芸誌

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(書評王)芥川心之介さんのコメント


 書評は、まだその本を読んだことがない人に読みたいと思わせる紹介文。その基本を崩さずに、既に読んでいる人でも楽しめるような批評的要素を、できる限り自然に取り入れる、というのが今回の自分のテーマでした。

 事前にネットで『DTOPIA』の感想を調べると、①前半のDTOPIA編と後半の回想編の繋がり、②多くのテーマを扱うことによるメリット、の二点がよく分からなかったという意見をいくつか目にしました。この二点は、ちょうど自分が本作において特に面白いと感じた部分でもあったので、自分なりの観点で評してみよう、と考えました。

 加えて、作品を雑に切り取るファスト化への言及を含む本作自体が、特に芥川賞受賞以降、ネット上で安易に切り取られてしまっているように感じられることは、個人的にとても残念だったので、このことにふれながら書評を締めくくりたいと思いました。

 書評王に選ばれたこと、豊崎社長から的確なご指摘とお褒めの言葉をいただいたこと、とても嬉しかったです。素敵な機会を、ありがとうございました。書評王に選んでいただきありがとうございます。


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