"力作"どまり
子どもらが夏休みの自由研究の追い込みをかけている。
よく頑張った。
力作だ。
そこでふと思う。
「力作」っていう言葉、含みないか?と。
質を問うていない。
努力した量だけにフォーカスしている。
"力作"どまりなんて言われた日にはだいぶ傷つく。
「力作だけど、…ねぇ…?」
「…ねぇ…?」の行間には「”力作"どまり」と言いたげであることが読み取れる。
子どもたちの作品は間違いなく力作。
現時点での能力を最大限に発揮して量にも質に反映させた。
そしてこれからまだまだ伸びる。
翻って僕はというと。
僕の作品は「"力作"どまり?」と疑問符が付くものが多い。
noteだけの話ではなく、小学生のときから今に至るまで、
色んな作品を提出した。
絵画、読書感想文、工作、レジュメ、レポート、卒論、講義資料…などなど
広義に作品と呼ぶものはだいたい、
"力作"どまり
というのが正直な自己評価。
そもそもセンスを軸にしていないから量で勝負する。
質を疎かにしているつもりはないけど、
質の正当な自己評価って難しい。
人の評価ではなく自己評価で"力作"の域を超えてみたい。
そのためにはもっと客観的な目、メタ認知の目を持てるようにならないとね。
芸人さんはネタを出す前に人に見てもらう。
どんな作品も一回人の目を通したほうがいいのだろうけど、
できれば独学で済ませたい。
独学で"力作"の域を超えるには
他の人の作品にもっと触れて吸収するといいんじゃないか。
本、映画、絵、
もっといろんな作品に触れるようにしていこうかなと思う。
他のクリエーターさんのnoteももっと読まないとな。
"力作"どまりのモヤモヤはどんな創作をする人でもあるんじゃないかと、
創作の素人が勝手に想像する。
でもそのモヤモヤを無視せず向き合い続けて生み出していかないとあかんのだろうなと。
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