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みんな暑くなくて自分だけ暑い
数日前、一日だけ暑い日があった。
職場のエアコンは全館管理になっており、夏と冬にはそれぞれ冷房/暖房を切り替えている。ちょうど制服の衣替えと同じである。ある時期からは一斉に切り替わる。たとえ暑かろうと寒かろうと。
今は夏季の冷房仕様が終わり、暖房こそかけていないものの、冷房はつけようにもつけられない状態になっている。エアコンはオフ、無風状態であり、日中はサーキュレーター(ただの扇風機)や窓を開けるなどして換気・通気している。
その日の朝は、外に出ると朝の清涼感が感じられず、もわっと頭から何か被せられるかのような湿気を感じた。日本列島の南にあった台風の影響で、風や雨はなく、ただただ湿気だけが上空に停滞していた日だった。
いつものように自転車で通勤した。予報は曇りだった。雨の心配はない。ただ湿気だけが停滞していた。自転車を漕ぐと普通は感じられる風が、今日はただの水蒸気のようであった。
全職員のうち自転車で通勤しているのは約数名。シフト等により自転車通勤者全員が同時に出勤するものでもないので、場合によっては約1名、私だけのこともある。そしてその日は私だけだった。と思う。
みんな車で通勤する。多くの職員は、通勤に運動の要素がほとんどない。その日は約1名の私だけが、運動を伴った通勤をした。
スタッフルームに入ると冷房はついていない。まだ日中でもないのでサーキュレーターもついていない。4,50人が同時に入るには狭めの部屋で、朝8時過ぎから無換気の状態だった。
みんな涼しそうな顔をしている。いや、涼しいのかどうかは当人たちに聞いてないので知らないが、少なくとも暑そうにはしていない。別に今日は暑くないのだ。ただ湿気が上空に停滞しているだけで、普通にしていれば誰も暑いはずはない。
私は自分から暑くなっただけだ。自分の選択と責任において暑くなっただけで。そういう選択をしなければ暑くならずに済んだと言える。全館管理のエアコンは不動明王のごとく、頑なに「冷房」への切り替えを拒む。朝のミーティングのために集まった4,50人が詰める狭めの部屋で、私は一人、汗を吹き出しながら自分の選択を正当化するために、暑さで少々熱くなった心と戦い、クールダウンを試みた。
自分の選択と責任において自分だけが暑いだけなのに、暑いだの冷房つけろだの、そんな声にならない声は上げられない。
”その時わたしは、この広い世界で一人ぼっちのような気がした”
ーこんな何度も使い古された常套句がしっくり当てはまるような状況である。いっぺんだまされたと思ってやってみればいいと思う。ただ湿気だけが上空を覆っている夏と冬の中間の日に、ほかのみんなが車通勤の中自分だけが自転車で通勤をするということを。”その時わたしは、この広い世界で一人ぼっちのような気がした”。絶対言うから。
みんな暑くなくて自分だけ暑い。
みんなちがって、みんないい。