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母に言ったことがある。「育て方間違ったで」と。

小学校高学年だったか中学だったか、今ではとんでもないことだと分かるけど、その時は感情に任せて言ったんだ。

僕は過敏なとこがある。関西の言葉で「気にしぃ」。細かいし引きずるし、優しいけど一人よがり。こんなにもみんな大事にしてくれているのに、ちょっと自分が大事にされていないような気がするとすねる。子ども時代の話ではない。今も9割5分、そういう性質を持ち続けている。

小学校高学年だったか中学だったか、今ではとんでもないことだと分かるけどその時感情に任せて言ったのは、僕のいくつかのそういった性質を親のせい、母のせいにしたかったからだ。親の育て方のせいにすることで救われたかったのかも知れない。自分は悪くないと。

でもそれは間違いだ。僕は間違ったことを言った。両親の、母の育て方は一つも間違っていない。僕が間違っていた。母は、両親はその時のベストを尽くしてくれた。結果どのように育つかは僕の選択でしかない。自分のどうにもならない性質に僕は苦しんでいたのかも知れないが、言い換えれば自分がどういう性質であるかを俯瞰で認識できていたということに他ならない。自分を自分で分かっていた以上、言い逃れはできない。自分に背を向けて、自分に向き合うことなく、母にとんでもないことを言った。本当にとんでもないことだった。

自分が何であるかを分かった上で、人は自分の生き方を定める必要がある。どう考えどう振る舞い、どういう言葉を選ぶかは、親や誰のせいでもない。最後は自分の地力でしかない。

僕は試されていたが、甘んじた自分にまんまと負けていた。

9割5分は今もそういう性質だと書いたが、改善した5分は、とんでもないことだったと、こうやって振り返って思えるところだけだ。

もし何か診断名でも付けば、明確に原因をなすり付けられて精神衛生上むしろ良かったと、何度か思ってもみた。けど本当にその立場にいる人の気持ちを蔑ろにしているし、医療者の端くれとしてはおいそれと滅多なことを言うもんでもないから、その考え方は葬った。かすっていたかも知れないし、意外と真っ白だったかも知れない。

しかしまあ、こんなにまどろっこしくても生きていられる。あとさきを気に病むことなく、ただ哺乳類としての生を全うする、それぐらい淡白でいる方が結果的に幸福なのかもと、感情の振れ幅を狭めることで心にかかる負荷を代償する選択を、今。

幸福に向かう道すがら、今の選択はゴールに直結の選択ではなくて、あともう何十回かある分かれ道の手前の部分だ。


正しかったと、あなたたちがベストだったと、両親には心から伝えないといけない。