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なったこともない管理職の気持ちを想像

上司は部下の相談に乗ることがあると思う。

あぁ、来たか
これも業務の一環

教育熱心で面倒見のいい上司は、時間を取って別室で話を聴いてくれるかも知れない。業務の一環とはいっても、部下の相談に乗ること自体が何か生産性があるわけではない。そもそも、生産性の有無だけで仕事を測ろうとすることが何かさもしいな、僕。

長期に見れば生産性は上がるかもしれない。部下の話に耳を傾けた結果、部下の成長が促され、組織の将来的な人的資本が増えるという見込み。でもこれは見込みであり、もしその通りになってもそれは結果論。

「話を聴く」→「成長する」→「人的資本が増える」→「生産性が上がる」

このフローは確かなものではない。話を聴いてる時点では「成長してくれたらいぃなぁ」の期待ぐらいしかない。必ず結果が伴うということはない。それでも上司は一縷の望みを持って部下に接してくれる。多忙な自分の時間の一部を部下に投資してくれていると言える。有難い。

いずれにせよここまでは、「話を聴くプロセスは大変だ」という前提で展開してきたが、そうとは限らないかもしれない。「大変ではない」「むしろ楽しい」という方の可能性だ。

「部下の話を聴くことを苦と思わない、いろんな話が聴ける、部下からこそいろんな有益な情報を得られる」

そう思う上司がいるなら、そういう上司の下にこそ、成長する部下が多く集まっていると思う。人の下に人は集まる。類は友を呼ぶ。上司が上司なら部下も部下。人の話を聴く集団になる。話を聴ける人は最強だ。話を聴く上司の下に集まった話を聴く部下たちは最強の集団だ。相手に喜んでもらうスキルに長けている。

上司が部下の悩み事を聴くプロセスは、ストレスとは別に、一周以上廻ってもしかしたら楽しいのかも知れない。


なんて、
なったこともない管理職の気持ちを想像。