見出し画像

禅問答

古代ギリシャのソクラテスに関連した「無知の知」。厳密にはソクラテスの言葉ではないとかいう説もあるとか。

それはそれとして。
「無知の知」は、ざっくり言って「自分の無知を自覚する人は知ったかぶりの人より優れている」「知らないことは知らないと考えられる人は優れている」という意味。

僕は自分のことをおめでたいヤツだと考えているが、おめでたいヤツが無知だとしたら僕は無知の知を自覚していることになる。

しかし「無知の知」はどこまで行っても「無知」であり続ける必要がある。なぜなら「知」になった瞬間、自分は「無知の知」であることも知っていると自覚することになり、それさえも自分は知っていると、自分を一段上に上げることになりそうであり、「無知の知」の本来の意味するところ、要は謙虚であるべきところと矛盾するから。つまり、「無知の知」であること求めれば求めるほどそうなることを避けなければいけないという逆説が生じる。「無知の知」は自分を高めるための理想の境地でありながら、同時にそこには永遠に辿り着けない。

だから僕は裏を返せば、おめでたいヤツではいたくないと考えているにも関わらず、そうあり続けるにはおめでたいヤツで居続ける必要があるが、自分がおめでたいヤツで居続けるためにおめでたいヤツだと自覚する作業は既におめでたいヤツではなくなっている。本当におめでたいヤツはこんなややこしいこと考えない。僕は永遠に「無知の知」に行けない。