くだらなさ過ぎて笑けてきた

テレビのゴールデンタイムの番組で、イエティとUMA(未確認生物)を扱っていた。

べつにいいんだ。
イエティとUMAはいいんだ。
イエティとUMAがくだらなさ過ぎると言ってるのではない。
イエティとUMAがくだらなさ過ぎて笑けてきたのではない。

なんか虚しくて情けなくて。

昔は身を乗り出して観てたよ。
ワクワクして観てたよ。
盲信していたのではなく、
「なんかほんまにいるとしたらそれはスゴイことよな」
って。

「絶対いるんだ、みんなもっと信じろよ!」
ではなく
「もし仮にいるとしたらこの部分は筋が通るけどここは辻褄が合わないな。でも、いるとしたら面白いよな」
とかいうように、分析してた。そしてワクワクしてた。
全然シラケてはなかった。

そして今も、絶対いないとは思ってないし、
「いても不思議はない」
のスタンス。

だからいてくれて全然構わないんだよ。
むしろいてくれた方が、その方が面白いよ。

だから
イエティとUMAに罪はない。

なんかさ、
「ほんまにいたとしたら…面白いな」のスタンスと
「ヤラセの可能性も十分あり得る。別にそれは罪じゃなく、ヤラセがあっても不思議はない」のスタンスを併せ持って冷めて観るようになったことが、
哀しくてさ。

歳取るってこういうことを言うんかなって…

そしてそうやって冷めて観るようになるに足る番組。
何か失礼で申し訳ないけど、
本気で「ミステリー特番として」やってるのか、
バラエティとして「ヤラセの可能性込みで笑ってください、台本ありきの可能性込みで楽しんでください」なのか、作り手さんの意図まで真剣に考えてしまった。

で、それが振り切ってたら。
たとえば昔「めちゃイケ」で和田アキ子さんをビッグフットとして丸々1時間イジる回があって(今では放送されないイジり方)。
これは極端な例。これを善悪で捉えるのではなく、これが当時のバラエティとして振り切ってたというのは事実。
善悪ではなく(まぁ、"悪"になってしまうかな…)、
わかりやすい"バラエティ"の形。
「めちゃイケ」は中学生が観ても「台本の可能性込み」が分かった。

ところが今回のイエティとUMAの扱い。
どう観ていいのか分からなくて…

分からなくて歳取った自分に笑けて、振り切ってなさに笑けて、
ミステリー特番であるなら、なんかほんまにイエティとUMAが実在するならもっと真に迫ってほしいんだけど、「そんなの実在する訳ないだろ。証言もヤラセだろ」というアンチのツッコミしろを残してしまっている雰囲気に、
くだらなさ過ぎて笑けてきた(しろはワザとか?)。

そしてその検証するロケ地が、現在きな臭さが漂う親ロシア国・ジョージアだからなおさら笑けてきた。



一体どう観たらよかったんだろう?

シンプルに
「うわぁ、スゴイね!怖いね!あははははははは!」
でよかったのかな…

ほんまに歳取ったのかな、俺…

昔イヤだなと思っていた、似たくなかった、
テレビの中にぶつくさ文句言いながらテレビ観てた父に今やそっくりだ。

くだらねぇ