高校生
市内の同じエリアに高校が4つ、拡大解釈すれば5つある。そのために通学時間帯の自転車の流れが壮観だ。少なく見積もって凡そ3000人が3000台の自転車で同じ方向に向かって流れる様は、約40年前の北京市内のようだ。但し僕はまだ40歳になっていないので、40年前の北京は知らない。あくまで「のようだ」と感じるだけだ。
なぜこうも県立高校が乱立する立地になったのか、県の担当者にも考えがあったことだろう。しかし県庁の職員というのは数年に1回の異動があるため、当該部署において50年60年以上前の創立時の詳細な事情まで伝聞されていないだろうし、伝聞されているとして僕がそれを聞きに行くかというとそれはない。いずれにせよ乱立の裏話は雲散霧消となることは間違いない。
50年後ぐらいに夕方のニュースのいちコーナーで、「当時の謎を深掘る」企画として、もしかしたら乱立の謎が明らかになるかも知れないが、もはや僕の興味はそこまで続いていないと思うし、「夕方のニュースのいちコーナー」というコンテンツ自体なくなっている可能性が高い。
地域史というのはこういった形で記録に残るか残らないかのせめぎ合いをすり抜けて、結果残らないほうに流れていくんだろうなと思うと少しは郷愁の念がないことはない。
しかし高校生たちは事故らない。たまにあるのかも知れないが、器用に互いの距離感を保ちながら歩道に溢れんばかりに自転車が流れている。歩道自体整備が手薄なので、溢れた自転車たちが朝の交通渋滞も相まって車道の端をバスやトラックや普通車と並走する。このあたりの危険性について県の担当者の方のご意見は何かしらあると思うが、それを聞きに行くことはこれからもないと思う。各人が元気で無事に卒業まで走り抜けてほしいと願う。
通学する高校生を何の気なしに眺めている。