すごい人ほど何も考えない。
すごい人ほど、何も考えないな〜っていうのが最近の感想なのですが。
この「何も考えない」と言うのは、
「余計な考えを入れない」という意味なんです。
例えば、ヘタな気功師は、
「治れ〜!治れ〜!」って手を当てるんです。
それに対して、本当にうまい気功師は、
「ただ手を当てる」。
この違い、わかりますか?
「おむすびの祈り」の著者でありクリスチャンだった故・佐藤初女さんは、おむすびを結ぶ時、どうだったでしょうか?
〜〜〜
「おむすびを握りながら、なにを考えていますか」
とよく訊かれますが
私はなんにも考えてないんです。
美味しくなれとも考えない。
一粒一粒のお米を生かすように
ただ無心に握っているだけ。
十の工程があったら、十のどこにも心を離したくないから考える余地なんてないんですよ。
ひとつひとつの工程に心をかける。
それが私の祈りです。
本当にお伝えしたいのは、おむすびの作り方ではなくて「信仰とはなにか」ということなのです。
〜〜〜『いのちをむすぶ』佐藤初女 (集英社)より
無心。
なんにも考えてない。
これを聞いた時、なんかすごく衝撃的でした。だって私は、「治れ〜治れ〜」と言って手を当てるタイプだったし、「美味しくな〜れ、美味しくな〜れ!」と言っておむすびを結ぶタイプだったから。(笑)
ようは、我がすご〜く強かったし、今も強いのかもしれない。(汗)
この、「私」という我を抜いた時に、何が起こってるのかということをずっと考えていたんです。「無心って、何!?」って。(笑)
最近になって、そもそも全地は愛で満ちているのではないか? という仮説に至ったんです。
だから、人やおむすびに触れた時に、そこに邪魔な念がなければ、愛は自動で流れるんじゃないか? と。
うまい気功師の人とか、言いますもんね。「ただのパイプになる」って。
これを「宇宙のエネルギー」と呼ぶ人もいれば、「全地に満ちた愛」と表現する人もいて、そのエネルギーのパイプになるためには、余計な念はいらないんですよね。
人生って、長くて面白いなあと。本当に長く生きてなきゃたどり着けない気持ちってあるから、
生きるの大事だよね。