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「コーチングはセラピーではありませんので」←これ嘘です

 東畑先生の『雨の日の心理学』を読んでいて、思いました。「コーチングはセラピーではありませんので」って言葉、嘘じゃないかって。

 治療ではないです、精神分析ではないです、ここまではいいと思うんです。でもセラピーではないですっていうのは嘘なんじゃないでしょうか。

 うちのコーチングプラットフォームでも、同意書には「セラピーではなくうんぬんかんぬん」と記載されています。すぐに変えなきゃ。
 そう思った背景を書いていくツモリです。

 『雨の日の心理学』の序盤で、ケアとセラピーについて触れられます。内容自体は同じく東畑先生の『居るのはつらいよ』からケアとセラピーの端的で核心的な定義が触れられているんです。
 内容はこんな感じ。

ケアとは傷つけないこと。
セラピーとは傷つきと向き合うこと。

ケアとはニーズを満たすこと。
ケアとは依存を引き受けること。

セラピーとはニーズを変更すること。
セラピーとは自立を促すこと。

東畑氏『雨の日の心理学』

 曲がりなりにも、いやある意味ド直球にコーチングプラットフォームをやってる身として、ハッとさせられました。
 セラピーとは傷つきと向き合うこと。セラピーとはニーズを変更すること。セラピーと自立を促すこと。

 これって「セラピー」を「コーチング」に変えても成り立つんじゃ?
 コーチングとは傷つきと向き合うこと。コーチングとはニーズを変更すること。コーチングとは自立を促すこと。

 成立しました。成立したように思います。入れ替えに意味があるかは置いといて。
 詳細は書籍をお読みいただくとして、それでも少なくとも、コーチングはここで言うケアではないし、セラピーの方が確実にしっくり来る。

 ああ、誰のためのコーチング?という観点も必要ですよね。一旦誰でもいいですよ、それぞれ都合のいい対象を想定してくださいな。具体的に考えると、意外と的を射るのが分かりますよ。

 誰を想定したとしても、セッションにおける印象的な出来事と意味ってセラピー的じゃないでしょうか。
 傷つきと向き合ったり、ニーズを変更したり、本当の意味で自立していったり、そういうことを通して何か新しいその人へ、それでいて本来感、懐かしさのあるその人に変容していく。
 コーチもクライアントも、そういうシーンに撃ち抜かれているのを、僕は多く観てきましたよ。

 それではなぜ「コーチングはセラピーではありませんので」と言うのか。イチ事業者として思うに、「コーチングとは心の治療としての心理療法ではないんです」と言っておきたいんですよね。
 こころの治療ではないので、お医者さんにかかるくらいの精神疾患をお持ちなら、こちらでは診られませんよと。ある種の免責ですよね。

 ただ免責のためのはずだった言葉が、免責以上の意味と力を持ってしまっている。コーチングというものの可能性を小さな箱に押し込めるほどまでの検閲力を持ってしまっている。そんなざわめきを感じます。

 セラピーとしてのコーチングはあり得る。これを声を大にして言いたい人、意外と沢山いるんじゃないでしょうか。たまたまわたしが在野の革新ロールを担っているので、代わりに言っておきますよ✌️


「セラピーとしてのコーチングはあり得ます!」

山田瑠人

なんだか小保方さんみたいなトーンになっちゃいました


追伸
写真は、アイスオンドーナツです。植物性でグルテンフリーのドーナツに、これまた植物性のアイスを載せたデザート。ヘルシーなのか罪深いのか分からないそれを食べたのは、相当ケア的でしたね。「デザートを食べたい」「食後感は軽くしたい」のニーズ変更せずに済みました。

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