漫画家の富永一朗さんを偲んで
漫画家の富永一朗さんが先日お亡くなりになりました。私は富永一朗さんと初めてお目にかかった時が忘れられません。
ご一緒することなど全く考えなかった頃、「お笑いマンガ道場」というテレビ番組で良く拝見していました。コミカルでほんのちょっとエロチックな、マンガはもちろん、車だん吉さんとの軽妙な掛け合いが楽しくって学生の頃楽しみに見ていました。テレビの中で活躍されている方とご一緒させて頂く事ができたのです。
富永一朗さんとは、愛媛県西予市城川町のギャラリーしろかわで開催されている「全国かまぼこ板の絵の展覧会」で、15年間審査員としてご一緒させていただきました。
初対面の時、気難しい方だったらどうしようと本当に心配でした。審査で丸2日間、そして表彰式でも2日間ご一緒し、身近に接してみると、怖さなど少しも無く、気取らず多くの人を愛する方なんだなーと感じました。
もちろんどこか鋭く飄々と世間を見る目を持ちながら、それをユーモアを交えて話されている様子は流石だと思って聞いていました。審査員には途中から車だん吉さんも加わられて、お二人の掛け合いがとても楽しかったのを覚えています。
富永さんが、車さんにちょっかいを出すような球を投げると、車さんがかなり皮肉なボールで返します、そのお互いを信頼し合っているからこその言葉のキャッチボールが楽しくて、いつも2人の会話に笑っていました。
私が全国ネットの生放送で、城川町の岩の上の小さな田んぼ、岩上田(がんじょうでん)を紹介し、収穫した貴重なお米を全国の方にプレゼントする時に、お米の布袋に富永さんの漫画を描いて欲しいとお願いすると、快くお引き受けくださいました。
それもギャラなしで。チンコロ姐ちゃんを書いてくださったのです。本当にありがたかったです。
松山空港からギャラリーがある城川町まで、川沿いや山合をどんどん進んでいくので「初めて城川に来たときは、どんな山奥に連れて行かれるのかと思ったよ」と、ジョークを飛ばされていました。
でも、道中休憩で立ち寄ったスイカを販売している季節営業の店主に、冷蔵庫にマンガを書いてとせがまれればその場でマンガを描いてあげていました。また、スタッフの懇親の場所になっていた飲食店のオーナーに頼まれれば、襖にマンガを気軽に描いていました。
そして、私の妹がイギリスで漫画展をする時に、小さな掛け軸に漫画を描いて下さいませんかとお願いするとすぐに引き受けてくださいました。本当に気さくで、おごりの無い温かいお人柄の方でした。
全国かまぼこ板の絵の展覧会の審査では、当たり前ですが、自分の判断基準をとても大切にされ、特に、子どもたちの作品審査には、力を注いでいらっしゃいました。
初めてきた山合の美術館に全国から寄せられるレベルの高い、たくさんの作品に、毎回感動されていました。
人を育てる思いは、もしかしたらご自分の社会人のスタートが小学校の教員でいらしたからかも知れません。
人を分け隔てなくふれあい、温かい空気感を作り、その場その場で、ウイットに富んだユーモアあふれるコメントを残す、富永さんのあの温かい笑顔を昨日のことのように思い出します。
色鉛筆を巧みに使った富永一朗さんのたくさんの芸術作品は、きっとギャラリーしろかわでまた観られる日がくるでしょう。
富永一朗さん、空の上でも好きな作品をたくさんお描きになってください。
あなたのことは多くの方たちが心に刻んでいると思います。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《ありがとうございました、ご冥福をお祈りします》
「私も朝新聞で見てびっくりしたんよ、二階のあんたの部屋まで、新聞持っていったろー、96歳じゃったんじゃねー、あんたええひとじゃ言うていよったねー」
「本当に、ユーモアがあったわい、鋭い世相批判をされることがあったけど、そこに、ユーモアがあるけん、少しも嫌みが感じられんかったわい」
富永一朗さん、人生どうあるべきかさりげなく教えて頂いて本当にありがとうございました。
【ばあばの俳句】
見る度に色鮮やかや七変化
七変化とはあじさいのことです。時折、花の色が変わる事からこの名前がついています。私たちが花だと思っているのは額が発達した装飾花だそうです。
母は思いっきり咲いているあじさいを描きました。白、青、紫、赤と色も様々で、咲き競っている優美な姿は梅雨の時期の癒しですね。
▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」と20時前後には「フリートークでこんばんは」も音声配信しています。お聞きいただければとても嬉しいです。
たくさんの記事の中から、「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。
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私のアルバムの中の写真から
また明日お会いしましょう。💗
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