
どんぶり勘定の私
投稿のテーマに困っていた時に、noteからのお題は無いだろうかと思って探していたら「#お金について考えていること」が目に止まりました。
いつもは貪欲に取り組んで自分らしい文章を書きたいと思う私ですが、「これは私には向いていないから書くのはやめておこう」とすぐさま諦めました。
でも何故かそのテーマが気になっていたのです。
何故なら、私は昔からお金に対して無頓着だったからです。爪に火を灯すように一円単位でお金大切にして、少しずつ増やしている堅実なタイプの人から見れば大雑把な私は金銭感覚に疎い人として見られていたと思います。
友人と食事をしてワリカンになった時、端数を自分が払うのは何とも思わないタイプです。それは褒められたことではないのかも知れませんが、数百円の金額だったら私が払ったらいいじゃない。そんな風に考えるのです。
私は何でもどんぶり勘定でした。
これにはこのくらいあったらいいだろう。大雑把に収支決算をしていたのです。大げさに言えば、自分の人生の収支決算がどうにか合えばいいだろう的な考え方です。
でも決して裕福な家庭に育ったわけではありません。
私は学生時代、親からお小遣いをもらっていませんでした。自分のアルバイトで稼いだお金で自分が欲しいものを買っていました。それは今から思えば両親に感謝です。
欲しいものがあれば自分で貯めて購入する、自分で稼いで購入する。出来ないものは諦める、そんな金銭感覚が養われたと思います。
大学時代に家庭教師のアルバイトで念願のバッグを買って、初めて使った日に公衆トイレで置き引きされてお財布ごと盗まれ、涙を流したことを思い出します。
私の数か月の苦労は一瞬にして消え去りました。
アナウンサーの仕事を長くしていたので、私の収入の多くは衣装代に使われました。他人から見れば馬鹿らしいと思われるかもしれませんが、それは仕事のための勝負服を自ら買っていたようなもので、それが私のキャリアの一部にもなっています。無駄だったとは思っていません。
お金の使い道は人様々です。
自分が使ってきたお金が、極端に言えば自分を作ってきたともいえるかも知れません。
「お金が人を作る」のです。
そう考えると、お金に対してどんぶり勘定だった私が今の自分を作っているのかも知れません。
定年退職して66歳を迎えた今は、入ってくるお金が減る事はあっても、増えることがほとんど無いという状況の中で、何にどれだけ使って収支をきちんと合わせるのかを考えなければいけない状況になってきました。
恥ずかしい事ですが、お金についてじっくり考えるようになったのは本当に最近です。今持っているわずかな資産を自分なりに自分の為にどう管理して、守り、どう増やしていくのか、本当に大切な時期だと思います。
考えるのが遅すぎたかも知れません。
生活が安定する資金の基準は人様々ですが、今の私はありがたいことに老後の生活が成り立たないことはありません。今のところ贅沢さえしなければ普通に生活していける状況です。それは幸せな事だと思います。
そう言う状況になっているのは、きっと私が現役時代に自分自身がどんぶり勘定であっても、お付き合いで様々な人たちが進める提案に乗ってきたからだと思います。勧誘に対して断れない優柔不断な性格が良かったのでしょう。
銀行や保険会社、証券会社の知り合いたちに勧められて、断れず様々な商品に加入したことが今の私の生活の助けになっていることがたくさんあります。
当時、断り切れずに入った積立保険が今は老後の資金として役に立っています。
私がもっと倹約家で貯蓄を最優先にしていたら、今の自分はなかったかも知れません。何度も言いますが、お金は人によって価値観が違っていると思います。
若い年代にしか使えないお金、家族のために使うお金、そして自分の老後のために使うお金、どんな使い方をするせよ、自分自身が生活設計しておくことは必要です。
とにかく、お金が無くては何も始まりません。生活が成り立たないのですから。なのでこれからはお金にもう少しシビアになろうと思います。今日の投稿で私もお金について考えることが出来ました。

【毎日がバトル:山田家の女たち】
《あんたと私も金銭感覚は違わい》
「生きていくためにお金はないといかん、私はどんなもん買うんでも、商店街の端から端まで行って安いもんを買いよった、時には高いもんでも思い切って買うよ、買う時は買うけど締めることころは締めるんよ」
「そうじゃねー」
「あんたと私は金銭感覚は違わい」
「若い頃にね、預ける期間によって定期預金の利息を先にくれるとこがあってね、私はそれが嬉しかったけん、そればっかりしよったわい」
「お母さんは食べ物には贅沢よね」
「金銭感覚をどう捉えるかよ、私は病院には行かんけん、食べるもんは高くてもええもんを食べるんよ、お金を何に使うかはその人その人で違わい、ほじゃけど、私は昔風のコツコツ貯めるタイプよ」
親子でもお金に対する思いや感覚は違っています。しかしどちらにしても大切なものであることに変わりはありません。

寅年に夢を託さん冬木の芽
お金のことも含めて、混沌として不安の多いこの時代、新しい年に期待し、様々な夢を託している親子を詠んだ句です。

祈っている親子と、怪訝な表所に見える虎、その隣には春の芽吹きを前に耐えている冬木の芽、いったいどんな花が咲くんでしょうか。新しい年に期待したいと思います。
最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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また明日お会いしましょう。💗