メインテーマは殺人
あらすじ(文庫本の裏表紙から)
自らの葬儀の手配をしたまさにその日,資産家の老婦人は考察された。彼女は,自分が殺されると知っていたのか?作家のわたし,ホロヴィッツはドラマの脚本執筆で知り合った元刑事のホーソーンから,この奇妙な事件を捜査する自分を本にしないかと誘われる……。自らをワトスン役に配した,謎解きの魅力全開の犯人当てミステリ!7冠制覇の「カササギ殺人事件」に並ぶ傑作
ネタバレなしの紹介(読書メーター)
65点。フェアプレイに徹した,古き良き時代の本格ミステリ風の品。ダイアナという老婦人が,自分自身の葬儀の予約をした日に殺害される。この偶然に不自然さを感じた警察幹部は,顧問として働くホーソーンという人物に捜査を依頼。ホーソーンはテレビ番組を通じて知り合ったホロヴィッツにワトソン役になるように依頼するという展開。ダイアナが過去に起こした交通事故とのつながりや,ダイアナの息子であるハリウッドの俳優ダミアンまで殺害される。連続殺人事件に意外な動機が隠されており,全体を通じて,非常に丁寧な仕上がりとなっている。
ネタバレありの紹介(ブクログ)
ある老婦人が,自分で,葬儀の手配をした日に殺害される。自分で,葬儀の手配をした日に,たまたま殺害されるなんて偶然があり得るのか。この老婦人の死には,何か隠された真相があるのではないか。この謎に,元刑事で,警察の相談役という立場の「名探偵」ダニエル・ホーソーンが挑む。
著者のアンソニー・ホロヴィッツは,イギリスを代表する作家。テレビ番組の脚本も手掛けている彼が,ホーソーンのワトソン役という形で,この殺人事件に関わる。
この作品,「メインテーマは殺人」の特徴は,ユーモアとフェアプレイ精神,そしてメタ的な手法の3点だろう。犯人の意外性もあるのだが,ミステリを読み慣れていると想定内に感じる程度。とはいえ,非常に丁寧に描かれた作品であり,この丁寧なところが,世間での高い評判につながっているのだと思う。
探偵役のダニエル・ホーソーンの立ち位置はリアリティに欠ける。そもそも,自分の葬儀の手配をした老婦人が殺害されたことで,警察が「自分の葬儀の予約をした日に,たまたま強盗に殺害されるなんて偶然が起こり得るはずがない。」と考えるかどうかが疑問。こんな経緯で警察が,顧問役であるというホーソーンに捜査の協力依頼をするなんてことは,普通に考えて,あり得ない。しかも,顧問役として捜査に関わる探偵が,捜査を小説家と一緒に行って,捜査の様子を本にしようとするなんて,完全にフィクション,作り物の世界の話である。日本で出版しても,「リアリティがない」として,本格ミステリ好きくらいしか評価しない,マニア向けの本になりそう。それが,イギリスを代表する作家が書き,翻訳されて日本で出版されるとは。本格ミステリ好きのマニアの1人としては,イギリスでもこんな作り物めいた本格ミステリが出版されているだけで、嬉しくなってしまう。
被害者の老婦人,ダイアナ・クーパーの殺害が,ゆきずりの強盗による殺人ではないと思わせる要因がいくつかある。そのうちの1つはダイアナが殺害される前に息子であるダミアン・クーパーに送った「損傷の子に会った。怖い」というメッセージ。もう1つが約10年前にダイアナが起こした交通事故の存在である。
ダイアナが殺害される事件の捜査,関係者への尋問に加え,ダイアナが起こした約10年前の交通事故の関係者への尋問が描かれる。捜査が進められる中で,ダイアナが何者かに脅迫されていたという事実が分かる。更に,ダイアナが大事にしていた猫がいなくなっていること,ダイアナの息子であるダミアンは有名な俳優でハリウッドに住んでいるという事実等が分かる。
ダイアナの葬式は,ダイアナが予約していたとおりの段取りで行われる。その葬儀の最中,ダイアナが約10年前に起こした交通事故の被害者である少年が好きだった音楽が,婦人の棺の中から流れ出るというトラブルが生じる。この騒ぎで婦人の息子であるダミアン・クーパーが怒り,葬儀を抜け出し,そして,その日に何者かに殺害される。
約10年前にダイアナが起こした交通事故が「ダイアナ殺害の動機」であれば,なぜダミアンまで殺害されるのか。事故のときに車を運転してたのは,ダイアナではなく,ダミアンだったのではないか,というダミーの推理も披露される。
約10年前に,ダイアナが起こした交通事故では,車に轢かれた被害者の子どもはアイスクリーム屋に向かっていた。しかし,そのアイスクリーム屋は,実際には休みだった。それなのに,なぜ,少年はアイスクリーム屋に向かって飛び出したのか。事故には,謎の目撃者がいたが,いったいどこに消えてしまったのか。これらの伏線が回収され,被害者の少年の父と乳母の不倫の事実が明らかになる。そして,少年の父は,自分の子どもが死んだことについて,ダイアナを殺したいほど恨んでいる訳ではないということが分かる。これにより約10年前の交通事故がの復讐のために,少年の父がダイアナを殺害したのではないかという推理が,ミスディレクションだったと推理する。
ダイアナ殺害の真の動機。それは息子のダミアンに関わるものだった。そもそも,この2つの殺人事件における真の狙いはダミアンだった。真犯人は,有名人になってしまったダミアンを殺害するために,ダミアンを母親であるダイアナの葬儀に出席させるために,ダイアナを殺害したのだ。
真犯人はダイアナが訪れた葬儀屋の経営者であるロバート・コーンウォリス。コーンウォリスは,かつて,ダン・ロバーツという名前で,ダミアンと同じ王国演劇学校(RADA)という役者の学校に通う学生だった。コーンウォリスはダミアンとダミアンの恋人の罠により,役者になることができず,葬儀屋にならざるを得なかったと考え,ダミアンを恨んでいた。ダイアナが,自分の葬儀をするためにコーンウォリスの葬儀屋に訪れたのは偶然。ダイアナは自分が脅迫されており,愛猫であるディブス氏が,偶然にも脅迫状が届いてからいなくなってしまい,殺害されたと勘違いしたことから自殺しようとして自分の葬儀の手配をした。そのために偶然にコーンウォリスの葬儀屋に入ってしまった。これが,連続殺人事件のきっかけになってしまったのだ。
この本がフェアプレイ精神に溢れる作品であることは,例えばホーソーンの「ダイアナ・クーパーはどんな心境で,葬儀屋に向かったと思うか?そして葬儀屋に着いたとき,まず目に飛び込んできたのは何だった?」という文章でも分かる。葬儀屋でダイアナの目に飛び込んできたのはハムレットの一節。コーンウォリスが俳優を目指していたこと,ダミアンを殺害する動機があるということを暗に示す一文。ホーソーンのセリフとして,あからさまに伏線をピックアップして見せている。
真犯人はコーンウォリスだが,最後のミスディレクションとしてダミアンの妻の父であるマーティンが出てくる。ダミアンが妻であるグレースを妊娠させたことを理由としてダミアンを殺害した。少なくともホロヴィッツはそう考えている。とはいえ,ワトソン役というのは推理を間違えるもの。読者としてはマーティンが犯人とは思えず,そうすると犯人になりえる人がいない。コーンウォリスが犯人と分かってもそれほど驚けない原因はここにある。
杉江松恋の解説もなかなか面白い。解説の中に,この物語の土台には3つのトリックが置かれている。Aは視点の切り替えとでもいうべきもの,Bは古典的な手法の再利用,Cは知っている限りでは前例がなく新しいが,同工異曲のものはいくつか挙げることができるとある。これについて少し考えてみる。
視点の切り替えとでも言うべきものとは,犯人の狙いがダイアナではなくダミアンで,ダイアナはダミアンを殺害するために殺されていたというメインとなる殺人を読者に誤信させるというトリックだろう。約10年前の交通事故そのものをミスディレクションにして,ダイアナ殺害が犯人の狙いであると読者に誤信させる。なぜ,ダミアンも殺害されたのかという謎を提供している。
古典的な手法の再利用とは,ダン・ロバーツとロバート・コーンウォリスの1人2役だろう。ダン・ロバーツにはダミアン殺害の動機はあるが,ロバート・コーンウォリスは,たまたまダイアナが訪れた葬儀屋の主人。ダイアナ殺害の動機もダミアン殺害の動機もないように思われる。しかし,ダン・ロバーツ=ロバート・コーンウォリスなら,動機あるし,殺害機会もある。このイコールを巧みに隠しているというトリック。叙述トリックでもあるのだが,一人称で書いているホロヴィッツも騙されているので,作中人物から作中人物へのトリックとの取れる。
知っている限りでは前例がなく新しいが,同工異曲のものはいくつか挙げることができるトリックとは,スペル自動修正機能を使ったトリックだろう。「レアティーズの子に会った,怖い」というメールを送るはずが,スペル自動修正機能により「損傷(レアスレーテッド)の子に会った,怖い」と変換されてしまう。これにより,約10年前の交通事故とのつながりが疑われることになる。これはちょっとしたトリックではあるが,日本語に翻訳されてしまうと魅力は半減というところか。「ああ,そういうことなんだ。原文で読んでいたら感心したんだろうなぁ。」と思う程度
さて,作品全体のトータルの評価だが,丁寧に作られたよくできた作品ではあるが,突き抜けた魅力はない。65点というところだろうか。