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法学初心者の時の悩み事① 本が分厚い

こんにちは、井上絵理子です。今日から、自分が初心者だった時に感じたいろいろな不安や悩み事についてつらつら書いていきたいな、と思います。どんな不安があったのか。その不安をどう克服したか(もしくは今なお悩んでいるか)。について書いていきます。

1 本が分厚い。つらたん

 一回生配当科目である裁判と法の教科書と推薦図書をゲットしにブックセンタールネ(京大生協の本屋です。)に行ったときのこと。

山積みの本がそこにありました。法学部用の教科書だけでもわんさか。

しかも、一冊一冊 分厚い 足の上に落ちたら痛いサイズの本ばかり。

恥ずかしながら、大学受験の時まで小説くらいしか読まず、新書や単行本、ビジネス本など手に取ってこなかった私。チャート式は分厚くて(あんなのやってられるか)嫌いで、トレーニングノート等薄い演習書を何冊もやるのが好きな人間でして。ギリいけるのが、古文道場とかでしたかね。それも、一問ずつちぎってホッチキスでとめて、「ほーら少ないよ怖くないよ。」って自分に言い聞かせる日々でした。どんなけ分厚いの怖いんだよ。

おかげで、学部一回生の時から「も、もう無理だ・・・!」とおびえきっておりました。

いや、冷静に考えてくださいよみなさん。

難しい話が400頁にわたって書いてある本なんて、読み切る自信ありますか?!私はない。今もない!!

さあ、どうしたらいいんでしょうか。

2 なぜ分厚い書物は怖いのか

怖がってても、読まないと受からんのです。仕事するときにいちいちおののいていてはやってられんのです。

さて。この「分厚い、読み切れない」という不安、なぜ発生するのでしょう。

① 本は読み切るものだ、読み切らないといけないと思っている。

② 一度で内容をわからないといけないと思っている。

③ 体力がない。

④ 量が多いと萎える。

私はこの4要素のせいで、不安、というか恐怖を感じていました。

③は固有事情ですかね。脳出血は発症してなかったのですが、なにやら体力がなく、常時だるい、息苦しい、しんどいという状態でした。

④は・・・かえって燃える!という勇ましい方もいらっしゃるでしょうが、私は違います。萎えます。逃げます。現実逃避します。見なかったことにします。・・・それではいかんのですが。この問題については分割するというテクがあるので、また別の時に。

重要なのは①と②です。この考え、本当に法律学習に当てはまるのでしょうか。少し考えてみる必要がありそうです。

3 ①の考えは本当にそうなのか?

小説ならそうかもしれません。始まりと終わりを読めばいいというものではありません。紆余曲折が面白いのであって、結果こうなりました、ということはぶっちゃけ二の次なのではないか。たまに、「え、で、どうなったん?」という余韻たっぷりな小説もありますから。

今は法律書です。本当に最初から最後まで読み切らないといけないのでしょうか。

本来なら、一番ベストなのは、そうです。最初から最後まで読み切り、その本を書いた人の一貫した思考を追いかけ、どういう論理になっているのかをつかむのがベストです。一人が書いた基本書はね。

でも、いろんな本があります。共著も多い。論文集や法学教室などの雑誌、演習書。共著の場合は、上記したような要素は薄まります。論文集は特定のテーマのものすごい深い理解が書かれています。雑誌の連載は途中から読み始めてしまうこともしばしば。特集はその1号こっきりだし。演習書は一問一問完結しているといえなくもない。

それに、とりあえず気になった個所をよんで、わからないことがあればその都度同じ本の別の個所を読む、というのでもいいのではないか。

本を読む目的は、ただ読むことではなくて、事案を法律を使って処理できるようになることにあります。適切に処理をするための方法を本を読んで会得しようとしている。それなら、最初から読まなきゃその方法を会得できない場合を除き、最初から読み切らないといけないとは言えないのではないか。

結局、目的意識をもって読むことが大事なのであって、最初から読み切らないといけないというのは迷信なのだ、と思えるようになりました。

4 ②の考えのおそろしさ

大学に入るまでは、たいてい一度習ったら練習してテストで確認という学習手順だったのではないかと思います。問題の難易度はあるけれど、とりあえずある程度はわからないといけないものだ、わかるはずなんだ、という前提で勉強していたと思います。

そうした学習態度のまま、法律を勉強し始めた私。すぐに挫折しました。

もともと、コツをつかんでしまえば理解がはやい方でした。自分でいうのもなんですが、読むのも書くのも速い方だと思います。体力がない分、それでカバーしている側面が強いです。なので、うぬぼれていたのです。日本語なんだし、読めばある程度はわかるはずだと。

ばかでした。あほうでした。何かいてるのかさっぱりわかりません。腑に落ちません。人に説明できるレベルではありません。出来の悪い猿真似をなんとかしたようなしてないような。

当たり前です。それまでの学習は、この程度はわかるだろうと加減された状態で提供されていました。京大の入試とかは、あれって加減されたの、え、みたいな状態でしたが、加減されておったのだと今は思います。大学入ってからは、その1テーマに人生をかけ、しかし終わらない、という研究をされている方に、そのままお話を聞くのです。加減がうまい方もいます。常に全開の方もいます。学生の存在をなかったものとしてお話される方もいます。あ、最後のパターン結構多い気がします。本も同じ。最近はかなり学習者向けの加減した本を出してくださってほんとに助かるのですが、いまから10年前は悲惨だったような気がします。

そんな中で勉強を始めるのです。わからなくて当たり前。把握できなくて当然。レベルがそこまでいってない。入門書や比較的わかりやすい書物に粘り強くあたり、だんだん読めるようになってくる。一回目は何かいてるのかさっぱりわからなくても、ほかの本を読んだ後にまた読んだら違うこともあります(蟻川先生の「プロトディシプリンとしての読むこと」とか3トライ目でやっと一応読めた・・・目を通せた(把握とか無理ぽ))。

なので、本を読んでいて「ここわからない!なんで!」という不安

事の性質上、「わからないのが当たり前なんだからしょうがない。」という結論になります。一度でわかったと思えたなら、それはレアですごいこと。わからなくて当たり前、自分がおかしいわけでも、ダメなわけでもない。

5 克服できた・・・かな・・・

①・②の考えについては根拠のない思い込みであった、と納得できれば、今後この2要素で不安に駆られることはないでしょう。分厚い本も、その分厚さに慄くことはなさそうです。

本の読み方、使い方、ぜひ、なぜその本を読むのかを意識して本をよんでいただければいいなーと思います。わからなくて当たり前、ゆっくりやっていこうと思ってもらえると気が楽かな。分厚いからって怖がることはない、と思っていただければ幸いです。


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司法試験講師  井上絵理子
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