【小説】神の国から風吹いて
新緑の禅雲村
あざやかな木々の緑。
新緑の季節。
4月を迎え、都市部では、桜の花見が宴たけなわ。
だが、ここ禅雲村には、ほとんど人の気配がない。
畑のあぜ道にで、のんびり井戸端会議をする3人の村人がいる他は。
「こんにちは。
今日は、いい陽気だねえ」
通り過ぎようとする若者に、声をかけた。
スマホの画面を睨みつけ、真っ直ぐに歩くその若者は、声に気づかない様子で、通り過ぎていった。
「ねえねえ。
あの人さあ。
東京から都落ちしてきて、ずっとあの調子なんだってさ」
「そうかあ。
まあ。
都会の人は、何考えてるかわかんないとこあるなあ。
禅雲村へ落ちてきたんだから、さぞかし寂しいだろうなあ」
「でもさ。
話しかけても、答えてくれないし」
「変わってるねえ」
西田 一紗は、この春から禅雲村にやってきた。
相変わらずスマホの画面を見たまま、あぜ道を歩き続ける。
春の日差しが暖かい。
二毛作をしている地域なので、麦の穂が黄色く色づき始めている。
白や黄色、薄紫の小さな蝶が舞い、小さな野花が咲いている。
「カズさん。
どこへ行くんだい」
村役場に勤める先輩の、吉澤 隆だった。
「ああ。
こんにちは」
「この辺は、川もあるから足元気をつけなよ」
「ありがとうございます」
カズは禅雲村役場に転勤になって、やってきたのだ。
異動の希望はあったが、まさかここまで辺鄙な村に、飛ばされるとは思わなかった。
「はあ。
しかし、貧乏くじ引いたわ」
スマホから、顔を上げると、遠くの山々に目をやった。
「山がこんなに近くにみえるぞ。
人より昆虫の方が多いんだからな」
都会も孤独だが、ここは暖かい孤独がある。
楽し気に、春を謳歌する草花。
そして昆虫たち。
人間もほのぼの暖かくて、心に突き刺さる。
世の中は、新しいニュースであふれているし、俺の知りたい情報は、はるか遠くから送られてくる。
友だちなどいらないし、心からの感動もない。
だからといって、何かが欠けているとも思わない。
ド田舎に飛ばされたって、スマホがあるし、通販で何でも買えるから不自由は感じない。
「しかし、何もないところだな」
また、スマホに視線を落とし、歩き始める。
春の日差しだけは、心を和ませてくれた。
毎日見ているViewTubeを、今日も開いている。
「あはは。
この人ヤバいな」
他愛ない日常の、隅にひっそりと潜む謎をほじくり出すような動画。
そして、毒が必ず含まれている。
「こりゃまた、炎上だな」
カズはにんまりと笑って、夢中になっていた。
不意に、空気がひんやりとする。
森にさしかかったのだ。
「まあ、このまま行ってみるか」
構わず進んで行く。
「今日は調子がいい。
動画が面白いし」
幸い、道はしっかり踏み固められていたので、草にかぶれる心配はなさそうだ。
どんどん奥に入っていくと、ますます暗くなってきた。
針葉樹が増えて、森の背丈が高くなってきたのだろう。
相変わらず周りを見ないが、森が深くなるのを感じていた。
1時間ほど歩いただろうか。
そろそろ引き返そうかと思ったとき、目の前に建物を見つけた。
「んっ。
なんだここ。
屋根のてっぺんに十字架があるから、教会のようだけど」
崩れかけた壁に、朽ちたプレートがみえた。
「『ラセーリ清教会』だって。
こんな宗派あったかな」
レンガ造りの壁面は、半分近くが崩れている。
「人はいなそうだな」
カズは、興味がでてきた。
少なくとも、暖かく人を迎える雰囲気ではない建物に、ほのぼのした村とは違う魅力を感じていた。
「なんか。
ミステリアスだなあ。
ここで動画撮ろうかな」
忍び寄る猫
教会の入口に大きな木の扉がみえた。
両開きのようだ。
いかにも洋風だが、木造建築の柱が露出していた。
「あれ。
猫がいるぞ」
みると扉の前に、ちょこんと小さな黒猫が座っている。
こちらを見つめて、金の眼を細くした。
「ようこそ。
小冬堀魔境へ。
案内役の『忍び寄る猫・チサグ』です」
周りを見まわしたが、誰もいない。
たしかに猫の方向から声がした。
「猫が喋った」
思わず後ずさりした。
チサグは滑るようにポーチから降りた。
一歩下がる。
「怖がらないでください。
では、これならどうですか」
辺りが一瞬光に包まれた。
次の瞬間、人間の背丈ほどの猫が立っていた。
「ね、猫が2本足で立ってる。
なんだ、このデカい猫は」
カズは目を丸くした。
レンガが剥がれて、漆喰がむき出しになった壁に、不気味なシミがいくつもある。
何か出てきてもおかしくない場所だ。
森の木洩れ日が、崩れた壁を神秘的にみせた。
「なにか、ヤバい」
振り向いて、もと来た道を戻ろうとしたとき。
後ろで少年が、地面に何か書いていることに気づいた。
「アビー様」
チサグがその少年に、恭しく礼をした。
丸眼鏡をかけ、頭を七三分けにした真面目そうな少年だった。
近づいて見ると、複雑な数式が幾重にも書き連ねてある。
「こちらは『数字の神・アビー様』です。
ずっと数式を書いていらっしゃいます」
黙々と、数字と記号を地面に書きつづけている。
ずっとこうしていたのだろうか。
奇妙な光景だった。
少年は微動だにしない。
2人の話など聞こえていないのだろう。
「おれ、帰りたいんだけど」
落ち着かない気分になったカズは、門柱に向かおうとした。
木々の間から眩しい光が漏れている。
その先には。
カズは、目を疑った。
「森がない」
道の先には、大地が広がっていた。
呆然と立ちつくす。
何が起こったのだろう。
思考停止して、スマホを見ようとした。
「いやまて。
ヤバいよ。
これ」
きた道を戻ればいいと思っていた。
その道がなくなっている。
「帰れない」
後ろには大きな化け猫。
前には見たことがない土地。
進退窮まった。
「この化け猫が、何かしたのか」
チサグを睨みつけると、ズカズカと歩み寄って、
「おい。
ちょっとばかりデカいからって、調子に乗るなよ。
ここはどこだ」
鼻先まで近づいて、問いただす。
鼻息の音が聞こえそうだった。
春の空気は暖かい。
だが、背中に冷汗が流れていた。
「ですから、ここはラセーリ清教会です。
小冬堀魔境への入口になっております」
チサグも困った様子だった。
「あのね。
おれは帰りたいの。
元の道を教えてくれないかな」
「すみません。
それはできません。
サジ様のご命令ですので」
チサグは門から平原へと促した。
「こちらへどうぞ。
帰れるかどうかは、あなたさまの振る舞いしだいです」
なにが起こったのかわからないが、逆らっても良いことはなさそうだ。
「いったい、何だってんだ。
しょうがないな。
おまえにペースを握られたようだ。
チサグ。
おれは西田 一紗だ。
カズでいい。
そのサジとやらのところへ、案内してくれ」
「サジ様は、この辺り一帯を支配されています。
心づもり一つで、簡単に帰れますから、失礼のないようお願いします」
チサグも、困った様な顔つきでいうのだった。
暖かい日差しの中、見渡す限り麦畑が広がっている。
禅雲村の風景とあまり変わらない。
というよりも、引っ越してきてから麦畑ばかり見ている。
「はあ。
また麦畑か」
草原を統べる者たちの元帥
まっすぐ歩いていくと、丘の上に真四角の建物が見えてきた。
「あれか。
あの中にいるんだな」
カズには、早く帰りたい気持ちしかなかった。
「サジ様のお屋敷です」
相変わらず、太陽は燦燦と照りつける。
首筋が少しヒリヒリする。
麦畑から、土のにおいがする。
長閑な風景とは対照的に、気分は暗かった。
「だいたい、なんでおれがこんな目に」
真四角の建物が、しだいに近づいてくる。
麦畑の切れ目に、広いあぜ道があり、丘の上に続いていた。
「ここにその、サジ様がいるんだな。
さっさと入ろう」
「こちらで少々お待ちください」
左手で制すると、中へ入っていった。
手というよりも、肉球がついた足である。
鍵づめが鋭くて、簡単に人間の肉くらい削げそうだった。
「考えてみれば、ライオンもデカい猫だ。
あまり逆らわない方が懸命だな」
中から、話し声がした。
なにを言っているのか聞き取れなかったが、しだいに近づいてくる。
「西田 一紗という人間は、おまえさんだね。
少し話をしよう」
大男が現れて、中へと促された。
「なんか、ヤバそうなのがまた出てきたな」
ポツリとつぶやくと、
「カズさん。
くれぐれも、失礼のないように」
チサグがささやいた。
長い廊下を進むと、正面に広間があった。
外から見たよりも、ずっと広くて薄暗かった。
窓がまったくない。
かがり火が、ところどころに揺らめいている。
広間に入ると、椅子を勧められる。
「まあ、こちらに座りたまえ。
久しぶりの客人だ」
揺らめく光に照らし出されたサジは、ひときわ大きくみえた。
「では、あらためて、『草原を統べる者たちの元帥・サジ』だ。
人間よ。
お前はなぜここに来た」
威圧するような空気をかもし出す。
早く帰りたい気持しかないが、逆らって長びくのも面倒だ。
「はい。
私は東京から、転勤でこの春引っ越してきました」
サジは黙っている。
何分経っただろうか。
呼吸が苦しくなってきた。
「人間よ。
ここへ来たからには、簡単には帰さぬ。
チサグから聞いているな」
どうも、思い通りにいかないらしい。
焦る気持ちを押さえて、できるだけ冷静になるよう努めた。
「私は、どうすれば元の禅雲村に帰れるのでしょうか。
散歩していたら、たまたま教会へ迷い込んだだけなのです。
仕事もありますし、帰らせてください」
素直な気持ちを吐露した。
サジの威圧感に、口が渇いてきた。
部屋の中には簡素な椅子とテーブルが置かれ、他には何もない、ガランとした空間だった。
「意味もなく迷い込むことはない。
おまえがここに来た理由に心当たりはないか」
「ありません」
「おまえはどこから落ちてきた。
落ちてきた人間が、ここへ来るのだ。
なにを求めている」
「求めて。
なにを」
カズは頭をフル回転して考えてみた。
とにかく満足させる答えを言わなくては、帰してもらえそうもない。
いくら考えても思いつかない。
頭の中は真っ白だった。
「ふう。
すみませんが、まったく心当たりがありません。
帰らせてください」
「なるほどな」
サジが立ちあがった。
チサグに何か告げると、
「では、草原の掟に従ってもらおう」
そして、外へと促されるままに出た。
「これから、小麦の刈り取りが始まる。
春は小麦の収穫時期だ。
おまえにも手伝ってもらおう。
これが草原の掟だ。
自分の食いぶちは自分で養うのだ」
もうわけがわからなかった。
小麦の収穫を手伝っているまに明日になってしまうのではないか。
焦燥感でいっぱいだが、この人には何を言っても通じそうにない。
数字の神
外へ出ると、大きなカゴを持ったチサグが待っていた。
「では、畑へ参りましょう」
少し歩いたところで立ち止まり、
「この畑です。
穂が輝いていますね。
きっといい小麦がとれますよ」
稲刈り鎌を取りだすと、一本手渡された。
「普通の麦じゃないのか」
少々ふてくされた声で、答える。
「やってみせますから、見ていてください」
かがんで小麦の根本をつかみ、鎌で引き切った。
一息に束が切り離され、畔に束を置く。
「なんだ、簡単そうだな」
カズは、チサグが刈った次の束を掴んだ。
「根元を持ってと」
鎌を当て、引っ張るが全然切れない。
「あれ。
チサグ。
この鎌切れないぞ」
顔を上げると、誰もいなかった。
「ちぇっ。
あとは一人でやれってか」
だが、いくら引いても切れなかった。
「参ったな。
小麦を刈るなんて初めてだし。
とにかく、何とかしないと今日中に帰れないぞ」
力いっぱい引いたが、何本か切れるだけで、チサグのようにはいかない。
やはり、何かが違う。
「くそっ。
どうなってやがる」
いら立つ気持ちと、情けなさで嫌になる。
周りを見まわすと、誰もいなかった。
「そういえば、この広い畑をだれが管理しているのだろう」
今の時代、ずべて手で刈るはずがない。
どこかに機械があるのだろう。
立ち上がって、少し歩いていったが見渡す限りの麦畑だった。
土のにおいに囲まれて、豊かに実った穂をみていると都会育ちのカズでも心を打つものがある。
「こんな風に畑を眺めたことは、なかったかもしれないな」
生まれてこのかた、パンはスーパーで買っていたし、うどんや米、魚も肉もお金を出せばすぐに買えた。
小麦が畑や田んぼで取れることは知っていた。
だが刈り取るのが、こんなに難しいなんて。
畔に座ってぼんやりしていたが、
「そうだ。
いつまでも、こうしちゃいられない」
鎌を取って畑に降りようとしたとき、丸眼鏡の少年に気づいた。
「キミは、数字の神・アビーだったね」
声をかけたつもりだったが、反応がなかった。
相変わらず数式を地面に書きつづける。
「数式ばかり知っていても、パンは作れないぞ。
キミも手伝ったらどうだい」
無視されると、ついいら立って言ってしまった。
アビーは黙々と、不思議な数式を書きながら前に進んで行くのみだった。
「それ。
何とか刈らないとな」
根元を掴んで鎌をあてがう。
やはりほとんど切れない。
「何が違うんだ」
鎌の刃をじっと眺めた。
刃にはのこぎりのようなギザギザがついている。
細かい歯が無数にあって、それで切るのはわかるのだが、なぜ切れないのだろうか。
ギザギザが邪魔して、切れにくい気さえした。
それでも、5つ、10と麦の束を切るうちにだんだんとコツをつかんできた。
「そうか。
引くんじゃなくて細かい歯をスライドさせて切るんだな」
そして、切れば切るほど乾いたいい音を立てていくようになる。
「ははっ。
なんだ。
簡単じゃないか」
傍らではアビーが、相変わらず数式を書いていた。
濁流の神
「もし。
そこのお方。
迷い込んだのですね」
若い女だった。
「ええ。
小麦を刈らないと帰れないというので、こうしています。
あなたは」
「私は濁流の神・クロセカンダです。
サジ様も、そろそろお許しくださるでしょう。
だいぶコツを掴んだようですしね」
そこへチサグがやってきた。
「お疲れさまでした。
このパンをお持ちください。
あなたが刈った分の小麦に相当します」
「また、来てくださいね。
小麦を刈ったら水田を作り、稲を植えます。
濁流の神の出番です」
「ここの畑は、あなたたちが作ったのですか」
「ふふふ。
作るのは人間ですよ。
神は手助けをするだけです」
「このパンは荘厳ならざる炎神・ハノヴァが焼きました。
今度いらしたときに、ご紹介しましょう」
チサグが、元来た方向へ歩きだした。
「さあ、帰りましょう」
カズが刈り取った部分は、畑の1列分にも満たない。
だが、見えなくなるまで何度も振り返って確かめた。
教会の前に、ひょろりとした白髪の老人が立っていた。
「余は深宇宙を護る・ユドである。
西田 一紗殿。
この小冬堀魔境は、宇宙の歪に現れる。
人間はみな、小さな宇宙を持っておるのだ」
「小さな宇宙」
「宇宙はいつでも変化している。
草原も、森も、小麦畑も宇宙の一部だ。
人間はその恩恵を受けて生きておる。
忘れるでないぞ」
チサグは、元のポーチに座ると、
「さあ、振り向いてごらんなさい。
もう、こちらを見てはいけません。
まっすぐ引き返してください」
言われた通りにすると、森の中の暗い道があった。
エピローグ
カズの仕事は、村役場職員といっても多岐にわたる。
税金の計算から、農業機械の管理、果ては草取りまで。
「やあ。
カズさん」
あぜ道で声をかけられる。
「こんにちは。
そろそろ水田を作る時期ですね。
濁流の神の出番かな」
スマホは家に置いてきた。
ここで生きていくのだから、いつまでも都会暮らしにこだわっていても仕方がない。
「しかし、あれは夢だったのかな」
神の国でもらった、大地の恩恵が土のにおいに気づかせてくれた。
了
この物語はフィクションです。