ワンピースではなくこち亀を通ってきてしまった人の話
引っ越しを機に持っていたこち亀を全巻売ったら思いのほかお金にならなくて、世は両さんよりも大海賊時代だと突きつけられた話を聞いてもらってもいいだろうか?
去年の夏、友達に無理やり連れられて観に行ったワンピースの映画はワンピースを通っていない僕からしたら、ただ知らないやつと知らないやつが知らない何かをかけて戦っているだけの2時間だった。
最初こそ友達が丁寧にキャラクターの説明をしてくれていたものの、途中あまりにも僕にワンピースリテラシーがないものだから「あぁもううるせぇ」と愛想をつかされた。僕はその後、ストーリーがわからなすぎて目を瞑ってしまったけれどAdoのライブに行ったような満足感のある良い映画だった。楽しみ方としてはちゃんと間違っていたことと、日本人として生きていく上でルフィが泳げないことぐらいで質問なんかしちゃいけないことを悟ったのだ。
僕はワンピースを通っていない。
厳密に言うと空島までしか見ていないから今でも最強の敵キャラはエネルであり、今のところ一番鼻が長いのはアーロンである。
僕は友達がこぞって最新のジャンプからワンピースを選んで立ち読みしている隣で、みんながそれを読み終わるまでの時間を潰すようにわざわざこち亀を選んで読んでいた。
昔から八方美人で平和主義、誰かが争っているのなんて見たくない子どもだった。まして海賊なんて治安が悪い。周りに合わせて見ていたアニメも数回を逃したことを理由に見るのをやめた。知らない間にトナカイやガイコツまで仲間にしてるではないか。
大人になると共通言語のように話されるワンピースやスラムダンクやドラゴンボール、そのどれも僕は知らない。僕も話題に入りたいと1話から読んでみたけれど、一度ためてしまった宿題のように取り返すには難しくすぐに理由をつけてやめてしまった。
教えてほしかった、こち亀は違うよって。
そんなことを周りに伝えるといつしかそれがキャラになった。''お前何通ってきたの?''え、こち亀''''こち亀w''それでひと笑い完成するのが嬉しくて、ちょっとアウトローな自分を誇らしく思うようになった。
でも最近とてもおもしろい友人と会って感じたことがある。
彼はシェアハウスをしながら、街おこしをし、素敵な文を書いて、日本中を旅している。お金の底が尽きそうになりながら、それでも会いたい人に会いに行く。Jリーグのアカデミーで働きながらだ。
彼と話をしているといつも思う。僕は選んできたものがアウトローなだけで、生きてきた道は至極真っ当。普通なのだ。普通に大学を卒業して、かたく公務員なんかしている。ある程度の枠の中で頑張って端の方にいるだけで、収まってはいる。つまらないお金を貯め込みながらだ。
彼を実家に泊めて僕の両親と4人で話をしたのだけど、3人とも楽しそうに自分を話す彼に聞き入ってしまった。「多分死なないであろうという自信だけで生きてる」その生き方はとてもかっこよく映る。一癖も二癖もあるけど、僕が憧れる人はいつも癖が強い。
10という数字を1と9に分けた時、僕は9側でいられる空気の読め方や当たり前を身につけてきた自負がある。怒られること、嫌われることを避けてきたら簡単にそちら側にいられた。でも彼は気づいたら1側にいる。好きな生き方をしていたら1側にいる。それでも自分があるから1なのにずっとキラキラしていて、他の1がたくさん集まって新しい10を作るのだ。
僕は子どもの前だとよく喋る。教育という後ろ盾のもと偉そうによく喋ることができる。大人の世界では周りの調和を保とうと聞く側になる。「聞いてる方が好きなんです」なんて言う。でもきっと相手に気持ちよくなってもらえた方がいいから聞き上手になったのではなくて、語れるほどの自分がないから聞き上手になってしまったのだ。
見てきた世界があまりに狭いのだ。
大人になると失敗が怖いというか、挑戦の感度が鈍くなる。見ている世界が狭くなるから興味の幅が狭くなる。見てきた世界の分、語れる自分があるのに学校のことサッカーのこと以外僕は何を喋れるんだろう?大人こそ世界を広げないと、子どもに色んな景色があることを伝えられない。そう思った。
そういう意味でこち亀は凄かった。秋本先生の興味の幅はとにかく広かった。ちゃんと歴史を見れる人だから、未来が読める人だった。こち亀を読んでいると色んな世界が見えた。そうだ、だからこち亀だったんだ。
僕はこち亀から何を学んだのか?
こち亀を売ったお金で気になるカフェに行った。小さいけれど雰囲気があるカフェだ。「Wi-Fiありますか?」と「ごちそうさまでした、スコーン美味しかったです」しか交わせなかった会話だけどいつかこういうところで会話を広げていける人でありたい。明日もまた人に会いに行こう。
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