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一人暮らしをやめた話

僕は大学に新幹線で通っていた。田園都市線沿いは住むには高く、新幹線を使ってでも通った方が安いという親孝行に見せかけた4年間のすねかじりで卒業する頃にはもうかじるすねがなくなった。15万の3ヶ月定期を3日目にして無くした話はこれ母親が読んでるからまた今度にしよう。

はじめて一人暮らしを始めたのが26歳の頃。どうしても行きたくなかった前の学校への異動を告げられ、頑なに一人暮らしを拒んだ僕も1時間の通勤にはさすがに心が折れて渋々の決断をした。世間からしたらだいぶ遅咲きである。

はじめて構える自分の城はとても快適で、何より自由だった。一人暮らしのある大学生活はどんな感じだったのだろうと想像すると楽しくなった。でもきっと通っていたからちゃんとできたよなと一人暮らしにおける堕落した生活と社会人であることがギリギリ保たせる理性の間にいる自分を見たのも良い経験だった。

一人暮らしをしてみてわかったことは、隣の人はカレーを作り過ぎない人だということ。
うちには女の子は遊びに来ないこと。野菜を食べないからマヨネーズは中々使い切れないこと。冬は洗濯物が乾かないということ。洗い物がめんどくさいのでせっかく揃えた調理器具も新品のまま埃をかぶっているということ。土日になると実家に帰りたくなるということ。料理が用意されていることは幸せだったということ。お昼まで寝ていても何も言われないこと。24時間丸々自分の意思で使い方を決められる自由があること。でもまったくの自由は味気なく、少々スパイスが必要だということ。誰にも邪魔されない生活は快適だけど、誰にも邪魔されない生活は退屈だということ。

全部一人にならないとわからなかった。

この仕事も早いもので9年目を迎える。30歳、異動もないこのタイミングで実家に戻ることにした。

「なんで30歳にもなって実家に戻んだよ」昨日からそんなLINEや電話がずっと鳴っている。みんなどれだけ僕に興味をもってくれてるんだありがたい。とりあえずの理由っぽいものを返すけれど、どれも本当の自分で、どれも作り物のような理由で、自分でもよくわからないのだ。一人暮らしをやめた決定打が自分でも見えてこない。

ただひとつ。仕事が自分にとってとても楽しいものになったというのが一番納得のいく理由かもしれない。

説明するのは野暮だけど、つまりはギリギリまで寝ていることでその憂鬱から逃げてしまいたい仕事ではなくなったのだ。

一人暮らしの家からは10分で着いた学校にはこれから1時間弱ほどかけて通うことになる。僕はその10分すら憂鬱な時期があって、エンジンを掛けるのすら嫌になって鍵を抜いて一度ベッドに戻ることもあった。

でも今はその1時間の道で考えるあれこれがたまらなく楽しいものになった。その時間はちょうどよく思考を導いてくれる。今日は何を話そうか、どんな授業、トレーニングをしようか、考えていたら学校が見えてくる。

5年前、不動産の友達と色んな家を見ながら部屋を決めたのが昨日のことのように感じる。とても気に入って決めた部屋は、5年経って部屋を出ていく時に何度も扉を開けては、思い出を振り返る大切な場所になった。

僕はあの部屋で過ごした5年間で人生で一番辛いことも人生で二番目に辛いことも経験した。それでもそれをちゃんと乗り越えられるようにして用意された素敵なこともたくさんあるから幸せだなと思える今がある。だからもうギリギリまで寝てこれから始まる1日を遅らせる必要もない。

楽しかったな、一人暮らし。

お茶も富士山も全部揃った静岡らしい家だった

なんか春だね。

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