やさしさがすべてを受け入れてしまう前に
僕は結婚も子どもが生まれた喜びも今のところ知らないから、人生で一番幸せな日は卒業式の日と決めている。先週人生で3度目の人生で一番幸せな日を終えて、そこに至るまでの1年間を子ども達の書いてくれた手紙とともに振り返ってみた。
そこにあるのは無駄な時間の中にあった日々のおもしろさと一緒に過ごした時間の尊さだ。涙を流しているのか、笑っているのか手紙からは読み取れない表情のかわりに''楽しかった''''幸せでした''の前にある''すごく''''とても''の間にはたくさんの小さな''っ''が並んでいる。あぁこれは心の底から感じた充実がちゃんと一人ひとりにあったのだと1年間の正解を確認したのだ。
卒業式の日に一人ひとりに手紙を手渡す時に感じたことがある。
この子達は誰も傷つけないやさしい子達だった。
思い返せばこの子達が人の失敗を笑ってみせたり、責めてみたりしたことなんて一度も見たことがなかった。
だからか、最後までちゃんと温かかった。最初ははじめましての緊張感から冷えたような教室も少しずつ温度が変わり始め、その温かさは春なのに出て行きたくない布団のような場所になった。
それでもこの子達はやさしいから傷ついてしまう子達だった。
「なんでそんなにやさしいの?」そんな言葉を何度も掛けたことがある。友達が傷ついていれば寄り添うことができて、悲しければ一緒に泣くことができた。それは元気がない時の僕にだって同じだった。
そんなやさしい子ども達だったから、これから先そのやさしさが全てを受け入れて、傷ついてしまわないか心配なのだ。これから先、逃げずに受け入れていった先に成長させてくれる経験もあれば、受け入れた先に何も残らず自分が傷つくだけの経験もある。きっとすべてにやさしい人は真っ当に向き合っていこうとするから辛くなってしまうこともあるんだと思う。
僕がそうだった。僕はやさしい人だから、時折り誰かの表情の理由を自分に返してしまうことがある。
でも、傷ついてきて良かったなとも思う。僕はたくさん傷ついてきた分、人の感情の機微に気づきやすくなった。痛みがわかる分、言葉を選べるようになった。みんなもそうだったらいい。
でもどうしてもみんなのやさしさで受け入れられないものがあれば逃げればいいと思うの。笑っていられない時だってあるじゃない?
人にやさしいみんなが、どうかそれ以上に自分にやさしくありますように。
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