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壁の向こう側

金曜日、20時になると隣の部屋からは決まってクラブミュージックが聞こえて来る。

駐車場に停まる車がBMWからクラウンにかわったここ1ヶ月、決まってクラブミュージックが聞こえて来るようになった、か。飲みに行く約束をしたまま行けずにいたあのカッコイイおじさんは、いつの間にか引っ越してしまったみたいだ。2年前初めての一人暮らしをした時に出逢ったあのおじさんはネットでも見た事のあるちょっとした有名人で、「あの…さんですか?」と話しかけてからあいさつを交わす仲になった。「今帰りですか?先生、遅くまでお疲れ様です」「中学校の部活はどうですか?」「僕は今日A級のインストラクターやってきましたよ」「…がJリーグに決まりましたよ先生」「先生今度ゆっくり飲みに行きましょう」壁の向こうに住んでいた父親程歳の離れたあの人は僕の知りたいことをたくさん持っている人だった。

またいつかどこかで逢えたらと思う。

壁の向こう側

「あの人とはちょっと壁を感じるんですよね」「今目の前にある壁を越えたらきっと成長できると思って頑張ります」

壁(かべ)

生活の中でこの言葉が使われる時、僕らの生活は大抵上手くいっていない。歳を取ってたくさんの処方箋を手にして、多くの壁を越えてもなお壁があって、壁があって、また壁がある。そろそろ何もない平坦な道を歩かせてくれと思うのは贅沢な話か?

人それぞれの生活の中に壁があり、それをどう越えようか、そもそも越える必要があるのか、そんなことを考える時に伴うネガティブを悩みと呼ぶ。

アドラー心理学では「すべての悩みは対人関係の悩みである」とされている。

僕も例外なく定期的に目の前を塞ぐ壁は人間関係の悩み、特に子どもとの関係性の悩みであることが多い。

基本的には目立ちたがりや属性お調子者タイプ、コミュニケーション能力は平均より高め、初対面強めなステータスを持ちつつも、先天性人見知り症候群を患い、苦手属性へのアレルギー反応で気を抜くと突発的な人見知りの症状が現れるため、無意識的にそういう人とは関わらない道を選んで後天性のコミュニケーションお化けを保って来た。

僕らはたくさんの子どもと日々の生活を共にするわけだが、十人十色、自分の絵にはどうしても合わない色がある。決して嫌いではないんだけれど、むしろ好きなんだけれど、なぜか波長が合わない子どもがいる。喋るとお互いに間が生まれてしまって気まずさを感じてしまうような子どもがいる。

この仕事に就いて間もない頃、僕はその苦手から無意識に遠ざかり、自分と似たようなタイプの子ども達ばかりと、いわゆる''ノリの良い''子ども達とコミュニケーションを取る日々を過ごしてきた。それはそれは楽しく、友達のように振る舞う先生は多くの子ども達から支持を得た。子どもと同じ目線でいられる自分は良い先生だという自負もあった。自分とはタイプの違うベテランの先生を「あの先生ちょっと子どもと距離遠いっすよね」なんて嘲笑ったりしながら。

何年か前の卒業式の日、子ども達からは僕が良い先生だったということを口々に告げられた。それはそれは自分に自信を持つには十分な理由で、同時に勘違いをするにも十分な理由だった。

そんな中、一人一人のメッセージを読み気分良くお酒を飲む自分を一気に現実に戻したメッセージがある。''ノリが合わない''と無意識に自分がコミュニケーションを取ることを避けてきた子どもからもらったメッセージは今でも自分の愚かさに刺さって痛い。

「先生のこと好きでした。いつもおもしろいこと言って笑わせてくれる先生が担任で良かったです。本当はもっと先生と喋りたかったんです。でも勇気がなくてなかなか喋りかける事ができなかったんです。人見知りって治るんですか?先生は明るい子が好きだから、きっと嫌われてたのかなって思ってました。○○ちゃんは先生は「お気に」じゃない子には差別するって言ってたけど、私はそうは思いません。でも寂しい思いをしていた子はたくさんいると思います。高校行ったら人見知り治せるように頑張ります!1年間ありがとうございました!」

あぁごめん、本当にごめんなって。

その子と僕の間には壁があると思っていたのだ。喋りかけてもあまり反応は良くないし、話も広がらない。あぁきっと彼女には避けられているんだろうなと思っていたのだ。「あの子合わないんですよね」なんて職員室で漏らすこともあった。実はそうじゃないという答え合わせができた時には彼女はもういなくて、あれ以降4年間一度も会えていない。

僕は悩んだ時には必ず顔に出る。校誌の1年の振り返りのクラスページには「おもしろい」「彼女できるように頑張ってください」に並んで「わかりやすい」と書かれるぐらいには感情を心に留めておけない人間である。

そしてだいたい、そういうのに気づいて声を掛けてくれる先生がいる。

「何?今度は何に悩んでるの?笑」

「あ、いや。先生って合わないなぁとか思う子とかいます?先生はマジで誰に対してもイーブンというか」

「いるさ!人間だもの!」

「マジっすか?あんまりそういうの感じさせないから」

「苦手だな、合わないなって思う子ほどコミュニケーション取るのよ。これ鉄則。ノリが合う子なんて放って置いても自分から寄ってくるんだから。でもそうじゃない子って自分からは来れないから、僕らからすると距離を感じてしまう。壁があるなぁって感じてるのは実は僕らだけで、意外とそんなものなくてね。あの子達はいつも先生と喋るきっかけが欲しいんだよ」

「うわ、マジか。勝手に壁があると思ってました。それでますます歩み寄れなくてもっと高い壁作っちゃってた感じですね」

「そういうこと」

僕はそろそろ6年目を終えようとしている。幸せなことに今は、合わないなと感じる子どもがいない。これまで集めて空き時間に見ていた宿題は朝僕のところに持ってくることにして必ず喋る時間を作っている。

「髪切った?」

「いゃ切ってません。とりあえず女子は髪切ったって言えば喜ぶと思ってるんですよね、だからモテないんですよ?」

「雨降ってるけど今日野球部どこで練習するって?」

「いゃうちめっちゃテニス部!」

「先生、宿題やったんですけど家に忘れました」 

「オッケー、車出すから取り帰ろうか?」

「やっぱやってません」

多分、壁なんかない。こちらが勝手に壁だと思ってしまっているものはきっと思った以上に低くて薄い。


金曜日、20時になると隣の部屋からは決まってクラブミュージックが聞こえて来る。

「いつも音楽聞こえてくるんですけど、いいっすねアレ。めっちゃテンション上がります」

今度話しかけてみようかな。














いゃやっぱりやめようか。絶対鼻にピアスとかしてるし(ド偏見)












僕は最近心なしか漫才のボリュームを落としている。

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