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僕とサッカー

僕には夢があったんですけど、それはあきらめることにしました。

最近ひたすら人の''才能''というものに興味をもって、『みんラボ』というポッドキャストを聴いてはメモを取る日々なんですけど、

''才能''
努力とか関係ない、ついついやっちゃう役に立つこと

『みんなの才能研究所』より

と定義した時に、サッカーを90分観るにはちょっと気合いが必要だし、そこに分析を加えるとしたらとにかく時間が掛かるし、時間があったらついついやっちゃうのはシティの戦術を理解することよりも、子どもとコミュニケーションを取ることだって知った僕は、「Jリーグで働きたい」という夢をあきらめることにしたんです。

才能を生かせている人達は、自分は何が得意で何が苦手かの自覚があって、もし今''自分イケてないな''って思ったらそれはきっと生きる場所が違うんだよって話はつい最近進路に悩む自分のクラスの子ども達に伝えた話です。うんうんって頷きながら聴いてくれる子どもの目を見ていると、僕にはきっとその人に合った言葉を適切に伝える、その人が一番理解しやすい言葉を選ぶことができるという才能があるっぽいのです。違うかもしれないけど、僕のnoteだからそういうことにさせてほしい。

指導者は''種を撒く人''と''稲を刈る人''の2つに分けられるといいます。この2つはざっくり、''種を撒く人''は広く育成に関わる人、''稲を刈る人''は育てられてきた選手を使って何かを成し遂げようとする人に分けられるでしょう。僕が夢見ていたのは後者だったけれど、僕にあった才能は前者でした。僕が努力を要するのは後者だったし、喜びを感じるのは前者でした。

憧れは、しばしば自分の足りないところを人に見つけて感じるもので、本当に自分の才能の延長にその憧れがあるかはわからないということに気づいたのがつい最近のこと。30歳になって見えてきた人生の本質のほんの触りの部分なのです。

ではもし僕に種を撒く人としての才能があったとして、サッカーの入り口に立った子ども達にサッカーのおもしろさを伝えるのであれば僕はどんな方法で、どんな言葉を選んでそれを伝えるのでしょう?

今回はサッカーにはじめて出逢った子ども達と一緒に学んできた10時間と少しの授業の話をしようと思います。是非ご家族お誘い合わせの上、お楽しみください。

長くなりますので、コーヒーだけ淹れてきてくださいね。

はじめに

以前もお話しましたが、教科書のない体育では学習指導要領をその拠り所に、教師のオリジナリティで授業を構成し、学習指導要領が示した目標を達成していく必要があります。

ゴール型【知識及び技能】
ゴール型では、安定したボール操作と空間を作りだすなどの動きによってゴール前への侵入などから攻防をすること。

という目標を基に…

という内容で授業を作っていきます。

うん、ざっくり。

一応ボール操作やボールを持たないときの動きの例示もあります。

うん、ざっくり。

相変わらず拠り所となるものが少ない分、ここをどう解釈して授業として組み立ていくかに教師の色が出てくるんだと思います。

サッカーの単元のテーマ

保健体育の評価は3観点。『知識及び技能』『思考力、判断力、表現力等』『学びに向かう力、人間性等』の内容をバランスよく学習することが大事なわけですが…小難しいことを言っても子ども達はわからないので毎回すべての本質となるような目標、テーマを設定します。今回のサッカーの単元はこちら。

『思いやりのある人になろう』

です。はい、相変わらずのざっくりな感じが僕らしい。

「''サッカーの上手な人''って聞くとどんな人をイメージする?」

「ボールコントロールが上手な人、リフティングめっちゃできるとか、シュートが上手とか!」

「そう、1つはボールを思い通りにコントロールできる人が''サッカーの上手な人''でいいと思うの」

「ポンポンポン(リフティングをやってみる)」

「おぉー👏」

「でもね、僕らに与えられた時間は10時間と少ししかないの。その限られた時間の中でめちゃくちゃボールコントロールが上手くなれるかっていったら僕も魔法使いじゃないからそこはちょっと保証できない」

「先生なのに?」

「先生だからかな笑 多分それができたらサッカーで飯食ってると思う。でもみんなにはサッカーの上手な人になってもらいたいと思ってる。じゃあ僕の言う''サッカーの上手な人''ってのはどんな人かって言うと」

「言うと?」

「思いやりのある人なのね」

「???」「準備手伝えるとか?」

「うんうん、それも思いやりね。でもそういうことじゃなくて…」

「じゃなくて?」

「例えば今、僕とAの間には(グラウンドに足で線を引きながら)線が引けるよね?」

「はい」

「これをパスラインって言う。じゃあ僕とBの間には線が引ける?(僕とBの間にはCがいる)」

「引けないです」

「そうするとパスは通ら…?」

「ない」

「そう。じゃあどうしよう?」

「スッ(Bが1歩だけ横に動く)引けます!」

「そう。困ってる人がいるからちょっとだけ動いてあげる。こういう気づかいができる人って思いやりがあるし、サッカーの上手な人だなって思うの。サッカーにはね、たくさん思いやりがあれば上手くいくのになーってシチュエーションがあるのね。そういうの少しずつ気づいていける、それを今回の単元のテーマにしたいな」

僕が今回10時間と少しの授業の中で目指したのは、受け手(オフザボールの選手)の思いやりによってサッカーが上手くいった記憶を1つでも多く残してあげること、そんな授業でした。仲間で協力することの難しさを含むおもしろさ、そんなチームスポーツの本質的な楽しさをサッカーを通して感じることのできる授業を目指したのです。

もちろんボールを思い通りに扱うことができた方が楽しいのは当たり前なので、とにかく様々な活動を通してボールに触れる時間を1秒でも長く取ろうと思ったのもこだわりの1つです。

それでは1時間ずつ見ていきましょう。

0時間目「サッカーってどんなスポーツ?」

サッカーの授業をしようと思ったら初日から雨が降ったので、相変わらずの雨男ぶりを子どもに叱られながら、バレーコート1面だけ借りてライン突破の鬼ごっこをやった''第0回''の授業の紹介です。

このゲームの著作権は僕の師匠アカデミック先生にあるので詳しくは聞いてください。

【ルール】
・10人1チーム
・1分以内に最後のラインを突破した人数で競う
・ラインへの配置は自由(1ライン4人まで)
・タッチされたらその選手は終了
・ゲームのオプションとしてボールを手に持たせて1分以内に最後のラインを突破したボールの数を競う(パス有り)

「サッカーにおける攻撃の目的は?」

「点を取る!」

「そう。実はサッカーって…試合終了のホイッスルが鳴った時に1点でも多く取っていたチームの勝ちなの」

「当たり前w」

「そう、その当たり前がめちゃくちゃ大事だから覚えておいてね。じゃあ逆に守備の目的は?」

「点を取られない?」

「そうね、点を取られないこと、あとはボールを奪うことかな」

「じゃあ攻撃はゴールに近づけばいいし、守備はゴールに近づけなければいいよねって話。っていうのを今日はこの鬼ごっこやりながら覚えて」

何本かやっているうちに子ども達の間に自然とコミュニケーションが生まれ、シンプルなゲームの中に勝ち方を模索し始めます。

「A!1人でどんどん突破してくけど、1分あるんだからちょっと待っててよ!相手からしたら複数で1人見るの楽だから相手より多い人数ぶつけたい!」

「誰かがディフェンス2人の間から攻めるじゃん?そしたらその隙にその外側が空くから一気に抜けよ!間…B行ける?」「俺?捕まんじゃんw」「これも思いやり」「じゃん負けにしよ」「サイショハグッジャンケン…

「これディフェンス最後に人集めた方が良くない?ここ突破されなきゃいいんでしょ?今何も考えずに一番最初に人多いじゃん?」「でも1番前のラインもっと人くれればそっち(最後のライン)まで行かせないように頑張る」「いゃでも人多すぎるとゲームおもんないって!」「先生!1ライン4人までとかルール決めません?」「自分たちのゲームだから自分たちで決めて!お互い良ければそれでいいよ、確認して!」「どう?」「いいよー」

なんて自然なコミュニケーションの中にも、ちゃんとサッカーの本質的な振る舞いが生まれるわけです。数的優位を作りに行くために待てることも思いやり、後ろのラインにたどり着くまでに1番前のラインで一生懸命守備して時間稼ぐのも思いやりなのです。また、1つのラインにたくさん置いたら足りなくなるし、それをどこの高さに置くのかもまたサッカーだと知るのです。

「ちなみに今日みんな後ろから4人4人2人とかで並んでたじゃん?サッカーではそれを442とかって表現するのね」

「聞いたことあります!」

「次からこれ足でやるね!はい終わり!」

その後の給食の準備はちょっと早かった。思いやりレベルがちょっと上がったのかもしれない(パンだっただけ)

1時間目「合言葉は胸合わせ」

1時間目の授業はボールを使った鬼ごっこからスタートします。

【ルール】
・3人組+1人鬼
・ボールを2つ手に持つ、持っていない選手をタッチする
・サイドステップのみ
・頭の上を越えるパスはなし

ルールだけ伝えていざ始めてみると、どこのグループもエラーが似るのです。それはボールなしでタッチされそうな仲間を助けようと2方向から同時にボールが飛んできて、顔にぶつかる。

「今さ、みんな助けたいって思いやりにあふれすぎてボール投げたじゃん?どうだった?」

「痛かったっす笑」

「だよね。思いやりがあだになっちゃった笑 でももしこれ投げる時と投げない時の基準があったら上手く回りそうよね。そんな規準が''胸合わせ''なの。胸が合ったら投げて良いよの合図。サッカーってさ、出し手の思いだけでプレーしたらきっと上手く回らないのよね」

その後はゲームをしました。みんな楽しそうにボールに集まって、足蹴られたーなんて言いながら笑って帰っていきました。これから見せる笑顔は毎回理由が変わっていくんだろと思ったらとてもワクワクします。

2時間目「ボールポゼッションに挑戦!」

W-upでは前回やった鬼ごっこをしました。自分がボールを出した後も、次の胸合わせを作りにいける子どもが増えてきました。

その後は2チームに分けて同じ色のビブスでポゼッションのTRを行いました。

【ルール】
・同じ色のビブスでボールを回す
・6本連続で繋がったら1点

みんな一生懸命プレーできる子ども達だからみんなでボールを追い掛けます。団子サッカーは見方を変えれば、壮絶なトランジションゲームなんだなぁと感じます。

ごちゃごちゃしたところでプレーしているので一度フリーズをかけます。

「今みんな10万円で部屋を借りてるとする」

「タワマンですか?」

「無理やろ10万じゃ。でね、今みんながいるこの状況ってトイレだけを使って生活してるようなもんだよね?周り見て!」

「もったいないぃぃ」

「そう、もったいないよね。リビングもお風呂も使わないのはもったいないの。贅沢に使えてるなーって思う位置に行ってみて」

すると子ども達はリビングもお風呂もワードローブすら使い始めるのです。マークにつく子ども達もすかさずそれを追い掛けます。

広がりを持つことによって初心者の子ども達に生まれたのはボールが届くまでの時間的な余裕と、これまで常にゼロ距離で受けていたプレッシャーの緩和による余裕です。距離が広がった分まだ難しいインサイドからトーキックが増えたデメリットはありつつも、パスラインを見つけてパスを出す子どもが増えてきました。

仲間を助けようと思って近づいちゃうことが逆に仲間を困らせてしまうことがある。自分の立ち位置が相手に影響を与える、味方のためにも遠くに行くそんな思いやりを覚えた子ども達でした。

自分の立ち位置が相手に影響を与えたことに気づいた子
距離が近いとマークも近くなることに気づいた子

3時間目「ボールフィーリング(ドリブル)」

前回の振り返りの中に「ボールを思い通りにコントロールできる練習時間が欲しいです」とあったので3時間目は1人ボール1つで様々な制約の中でドリブルを練習する時間にしました。

コーンが動くって斬新でしょ?ジュニアの時ひたすらこれやってたんです、楽しいから。

こういう自分の感覚を言葉にできるって素敵
ボールを持ってない方の足、サッカーをはじめてやる子どもがコツとして見つけた言語化はジュニアの指導者たちにも良いヒントになると思う

スピード上げた時とゆっくり進んだ時とのキャッチできる情報量の違いを試しながら、必ずしもスピード上げりゃいいってもんじゃないということも学習しました。

4時間目「ボールフィーリング(インサイドパス)」

ここに来てやっとインサイドキックです。

''良い位置に立ちに行く''を求めて、ひたすらダイレクトでインサイドパスを送り続けます。多分はじめてインサイドを学習する子ども達に''止めて蹴る''を10mぐらいでやるところから入るときっとボールは真っ直ぐ転がってこないし、時間あたりのインサイドパスの試行の回数が少なくなってしまうので、いわゆる普通のパスコンって基礎だと言われるけれど、難しいんじゃないかと思うんですよね。

ベストポジションに移動って大事よね。
ボールと自分の位置、足の向きを修正することで再現性を得られた子。ちゃんと考えて練習してるのね。
上手くいったことをちゃんと言葉にした子

5時間目「ゲートゴールのポゼッション」

ゲートゴールをランダムに作ってその中でポゼッションゲームを行いました。

はじめは1つのゲートをなんとかこじ開けようとしていた子ども達ですが、ミーティングを重ねるとゲートが閉まっているなら''キャンセル''して別のゲートを目指せばいいという結論を出したようです。

このゲームの5回目ぐらいになると空いているゴールを自然と声で伝えるようになります。

その後のゲームではある女の子がミーティングで伝えた''後ろに下げて別のルートから攻める''というアイデアが採用されて、はじめてバックパスという現象が生まれたのです。''判断を変える"はこれまでのゲームになかったのでサッカーっぽさが出てきたなと感じます。

バックパスに気づいた子

またやりながら気づいたことですが、ゲートゴールを作ったことでパスラインが引きやすくなり、届ける相手が明確になったことで前回のポゼッションゲームよりも圧倒的にパスがつながりやすくなったのです。結果的に視覚化がプレー判断を助けたオーガナイズとなりました。裏を返せば…

パスが来ることがわかる設計なのでパスラインが切りやすいので守備の負荷も落とします

ゲートによって相手のパスラインが見えやすくなったとも言えます。それにしても''パスラインを切る''がサッカー経験の少ない子ども達から出るのはワクワクします。

6時間目「ボールフィーリング(ターン)」


顔が上がって周りが見えるようになり、コミュニケーションも取ることができるようになった子ども達は''判断を変える''ということができるようになってきたのですが、キャンセルに時間が掛かり進もうとした先にはすでに人がいるというもどかしさがありました。

そこで6時間目はターンの練習です。

これは僕の失敗なんですけど、多分サッカーをはじめて経験する子ども達に最初の方に伝えるべきはターンだったかなと思うぐらいこのターンの技術の習得が大きくゲームのパフォーマンスを変えました。

動感画は言語化しづらい暗黙知を表すのに良いと思っているので僕も絵が上手くなりたい。
自分が習得することで、相手の動きに予想がつく。視野の広さや余裕を作るための方法なのかもしれない。

7時間目「鬼のトランジションをかませ!」

学習初期の団子サッカーは壮絶なトランジションゲームだったのに、幅や広がりが生まれた段階ではスペースの活用方法がわからず、また誰がボールを奪いに行くのか定まらずゲーム強度が緩くなってしまったのです。

サッカーをあまり見たことのない子ども達にはトランジションという概念があまりないので奪われても歩いていたり、奪ってもスプリントするような子がいなかったり僕らからしたら''もどかしい''ゲームが続いていました。

体育のサッカーだから別に強度を求める必要はないかもしれないし、もしかしたらそれを求めてしまうことで子ども達に芽生えたサッカーのおもしろさを摘んでしまうかもしれないとも思ったわけです。

それでも''取られたら取り返し行こう''''全力で走って''なんて声がつい出てしまう僕はやっぱりバチバチにボール奪い合っているサッカーを見せてあげたい、そう思ったのです。

「みんなポゼッションのゲームした時パス6本つなぐのどうだった?」

「めっちゃむずかったです」

「そうよね、めっちゃむずくて苦労して運んだボールを奪われた後、例えば奪われてた人が歩いてたりしたら?」

「取り返せよって思います」

「だよね、サッカーってさやっぱり難しいのよ、足でやるからどうしてもミスが起こる。でもさ、自分のミスや仲間のミスを必死で取り返そうとする選手の姿ってね、ちゃんと伝わるのよね。あぁこいつのためなら頑張ろうって」

「響いた…めっちゃ頑張ります今日」

「期待してるよ」

今回のゲームはこちら。

人数やつなぐ本数はクラスによって子ども達の実態に応じて変えました。


オフェンスは6本パスを繋いだらすばやくゴールを目指します。ディフェンスはボールを奪いにいく者、ゴールを隠しに行く者、それぞれが自分の出せる最大出力で鬼のトランジションをかましていました。

今までで一番走ったゲームでした。
ボールの近くにいなくてもすぐにパスラインを切りに行く、それも大事よね。
トランジションが頻発しスピード感の出てきたサッカーの中でもきちんと判断を変えられる、もう彼女達がやってるのはサッカーです。
誰もボールを奪われて歩いている子どもがいなくなりました。凄い👏

その日、課題を忘れた子どもを指導したんですけど、1時間後にはちゃんとはしゃいでたのでトランジションの授業の成果が出たんだと思います。やらなきゃ良かった。

8、9、10時間目「2対2を攻略せよ!」

さて、いよいよ単元も終盤に差し掛かり、ここで一度ゲームの中から2人組を切り取ります。

3時間ずっと同じゲームをやりながら、相手の立ち位置を見て攻略の方法を選んでいきます。ゲーム間でミーティングして、そこから必要なTRを考えて、またゲームをしてをずっと繰り返すだけの授業ですが受け手のアクションからちゃんと何をやろうとしているかが見えるようになってくるんですね。

ボールを上手く扱うことは難しくても、ランニングコースや走り出すタイミングは頭の整理ひとつでできるようになる、子ども達の持つ可能性の大きさに気づかされました。

すべての人に届いてほしい女の子が作ってくれた天才的な2人組の関係

YouTubeから見つけてきてみんなで見ながらあぁでもないこうでもないと話をします。「あ、パラレラ」「これはワンツー」なんて動画の中からアクションを探し出して、楽しそうに話をしながらTRに向かう子ども達の姿はまさに自発的な学びです。

受け手のアクションが大事だと言い続けてきたけれど、出し手だって大事よねって話

そしてこの3時間が圧倒的に残り数時間のゲームのパフォーマンスを変えることになります。

11、12時間目「ゲーム」

さて、いよいよフィナーレです。この10時間と少しの授業が子ども達の中で素敵な時間になったことを願います。

「今日でサッカー最後ね!みんなが考える''自分達のサッカー''を楽しんできてね。それがどんなサッカーかはみんなに任せるよ、サッカーに正解はないから」

「はい!」

僕はひたすら1時間を笑って見守るのだけれど、そこにはあるのはもうちゃんとサッカーなのよね。立ち位置には意図を感じるし、技術的なエラーで通らないパスもやろうとしていることがちゃんと見える。奪われたら全力で奪い返しに行き、点が決まるとみんなで喜んでいる。

僕は聞きたい。

たかが体育だぞ?
勝っても何もないんだぞ?
たかが1点決めてなんでそんなにもはしゃげる?

………
……

「そんなのどうでもいい」

子ども達の目はそう言っている。そこにボールがあって、ゴールがあって、仲間がいるからそんなのどうでもいいのだ。

最後に伝えたいことがある

きっと勝ちたくて、上手くなりたくて、必死でボールを追いかけて、頭擦り切れるぐらい考えて、みんなでコミュニケーション取ってできあがった最後のピッチにあったあれは驚くぐらいにサッカーだった。

「もしはじめての子ども達にサッカーを教えるとしたら何を教える?」

もう色んなところで聞く質問に僕なりの答えを用意するならこうだ。

全部伝えたい。サッカーの全部。僕が知ってるサッカーのこと全部。足りないかもしれない。でも知ってること全部伝えたい。伝えたことで見えにくくなってしまうことよりも、伝えたことで見える世界の方が広いはずだから。


僕がサッカーを教える時に大事にしていること

誰かのプレーを助けようとたくさん走ったり、誰かのために必死でボールを奪いに行ったり。みんなちゃんと思いやりがあった。














「下手でも楽しめるんですね、サッカーって」ある女の子がそんなことを教えてくれた。

僕がずっと愛したスポーツは誰にだって寛大で思いやりにあふれている。

おまけ

サッカーの授業の後にあったW杯の分析の授業も是非!


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