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206.何も無き日に

久々にポッカリと予定が空いた休日があった。

疲れているのなら家でダラダラする選択肢もあるが、特に疲れていない。元気な体で何もせず家にいるのも性に合わないので、とりあえず車で外に出てみた。

《何か書くネタないかな》と脳内であれやこれやを考察しながら、閃きとの出会いを手繰り寄せるがなかなか何も浮かばない。

そんな中、行く宛もなくフラッと立ち寄った道の駅。

ここは以前投稿した、私がファンを装って忍び込んだ道の駅である(No179参照)
ただこの日は何も装わず、ありのままの山田として訪れた。

コンビニで飲み物を買い、外に出る。目線を上げると山がそびえ、相変わらず自然に囲まれた素敵な場所だと感じる。そして軽く体を伸ばし、車へ戻ろうとした時

『(なんだ?あれは)』

ふと気が付いた。敷地の端の方に小さな建物がある。前回全ての店に寄ったつもりだったが見落としていたらしい。私は飲み物片手にフラフラとそこへ向かうと、そこにはこう書いてあった。

【和紙伝承館】

格好良さげな漢字の連なりである。一体どんな施設で、どんな年齢層のどんな方々がいらっしゃるのか全く検討がつかない。多少の興味と不安を胸に私は足を踏み入れる事にした。

入ってすぐに出迎えてくれたのは数々のひょうたんだった。大中小、様々なひょうたんが置いてある。

『(・・・なぜ・・ひょうたんが・・)』

『(・・・和紙は?)』

と思いながらひょうたんを眺める。そして結構高い。数千円もする。一体何に使用するのだろうか。というかひょうたんって何だ。

不思議なフォルム。キャッチーな名称ではあるが、一つ間違えれば最上の悪口にさえなり得る響き。幼き頃からその存在は知りえども特性や用途は不明。なんとなく微妙な距離感の植物である。

とりあえずその場で携帯を使って調べた所

・日本では縄文時代から使われている
・中をくり抜き、乾燥させれば酒や水を運べる
・殻は硬く腐らないが穴を開けるなどの加工が簡単
・数回なら火にかけてお湯を沸かせる
・皮の表面の気加熱効果で水の温度が下がる
・加工の仕方でケースやパイプなども作れる

という旨が書かれていた。思ってたよりすごかった。身近な植物で加工がしやすく耐久性もある。別にいらないけど長年人類に愛用されてきた理由が分かった。そして思った。

『(・・・いや、和紙は?)』

きょろきょろと店内を見渡すと少し遠くに店員がいて、その奥の方に工房の様なものが見える。あれがここのご本尊なのだろう。だが客がいない。

『(大変だ。全然伝承されてない)』

そう思いながらそこに向かって歩き出すと、その途中に物販があった。民芸品、お菓子、様々な物が置かれている。その中に目を引くものが一つあった。下駄である。

私はしょっちゅうサンダルを履いている。イベントやらライブやら酒飲みなどがない場合、サンダルを履く機会が多い。しかもよく履いているのは《ダサいサンダルが欲しい》と数年前に思いつき、ホームセンターで買ったダサいサンダルだ。思いつきで買ったので現在はそのダサさにウンザリしている状況。

ここは心機一転、サンダルを脱し下駄にシフトしても良いかもしれないと、その下駄を手に取った。

そしてそのフォルムを眺める。それは何て事はないザ・下駄である。良くも悪くもない。というか、この足裏の二枚刃は何なのだろうか。非常に歩きにくそうである。そもそも下駄とは何なのだろうか。その場で携帯を使って調べた所

・下駄の始まりは2000年前の弥生時代
・元々は農具だった
・江戸初期まで衣服の裾を汚さないための履物
・江戸中期からファッション化

なるほど。相当な歴史がある履物のようだ。だがこれを私が履く事を想定した時、幾つか懸念が発生した。まず足音である。カランコロンと歩く度に音が鳴ってしまう。後ろから人を驚かせる時、お茶目な山田になりたい時は不利に働いてしまう。

もう一つは身長である。これを履けば更に長身になってしまう。下駄の歯はおよそ3〜5センチと思われる。これではほぼ190センチになってしまう。正直、これ以上の身長はいらない。街などでたまに私より背の高いと思われる人を見ると『(・・デカッ)』と思うが、いざすれ違うとそいつは私より背が低く『(え・・俺あれよりデカいの?)』と軽い衝撃を受ける事がある。今よりデカくなるのは些(いささ)か問題だ。興味はあるが、トータルで考えるとあまりいただけない。

いや違う。そういう事じゃない。

『(・・・和紙は?)』

である。まだご本尊に辿り着いていないじゃないか。早く接見せねば。

だがこのタイミングで携帯に友人から着信が入った。というか、さっきから鳴っていたがひょうたんと下駄に目を奪われ、放置していた。さすがに出ねば。

『へい。もしもし』

『何してんの?』

少し言葉が詰まった。何となく『ひょうたんと下駄見てた』とは言いづらい。言葉だけ聞いたらちょっとした傾奇者(かぶきもの)じゃないか。

『いや・・・フラフラしてた』

『あ、そう。あのさ』

と、会話が始まった。店内でお喋りするのもよろしくないので、そのまま外に出て会話を続ける。そのまま歩き、車に乗って話す。

これはこのままメシを食いに行く流れになりそうだと察して車を走らせた。

しばらく会話すると友人は言った。

『了解。そんじゃまた』

全然誘われなかった。気付けばすでに道の駅からだいぶ距離が離れた位置にいる。そして思った。

『(・・・和紙は?)』

全然見れなかったじゃないか。今の所、ひょうたんと下駄を眺めただけである。かといって、引き返すほどの情熱があるわけでもない。

私は迷う事なく帰路へついたのだった。

という、本当に何も無かった日の話。

おわり

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