134.親指の使い方
【サムズアップ】とは
親指を立てるジェスチャー。日本では一般にグッドサインと呼ばれていて「Good」を意味する。
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私も例外なくサムズアップを使う。無意識に使っているので頻度は不明だが、割と多用していると思う。
グッドという意味だけではなく、"ありがとう"に対する"どういたしまして"の代わり、質問に対するポジティブな返事、10m先など多少遠い所にいる人への意思表示などに対し、大丈夫、アイムオーケーという幅広い使い方ができる。
他にも海外のバンドマンとのコミュニケーションにだって使えるし、写真を撮る時など、直立不動では物寂しく、ピースでは過剰という時はとりあえず親指を立てとけば何とかなる。
とても万能なジェスチャーではあるが、不本意な使い方をしてしまう事もある。
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数年前の年始。車で出かけ、自宅に帰っていた道中、私は腹部の異変に気付いた。
長年この体と付き合っていれば分かる。これは腹を下した痛み。その初動だ。自宅までの距離はまだ遠いが、もしかしたら間に合うかもしれないし、もしかしたら限界を迎えるかもしれない。
こればかりはその時のコンディション次第なので予測がつかない。出来れば自宅で済ませたいと願う私と、異物を排出したい体の本能との戦いだ。
だが、しばらく走っているとすぐに察知した。
《これは間に合わん》
ともすれば、急いで我が体の開放区(コンビニ)を探さねばならない。『最寄りの開放区はどこだ』と、悶々とした頭でサーチを開始し、腹に押し寄せる荒波を抑えながらトイレに駆け込んだ。
だがドアを開けた瞬間、躊躇(ちゅうちょ)してしまった。私の理想のトイレはウォシュレット付き。だが、ウォシュレットどころか便座も見当たらない。
【和式便所】
である。これは参った。どうしようか。
"尻丸出しでしゃがむ"という、インテリジェンスのかけらもない姿にならなくてはいけない。
しかし、そんな私のこだわりなどお構いなしに腹痛という名の猛威が攻め立ててくる。
『(背に腹は変えられん)』
と、一念発起し戦いに挑む事にした。
もちろん細かい描写は割愛するが、様々な試練が私に襲いかかってきた。腹痛で滲む汗、冬の寒さ、尻丸出しという羞恥心、太ももに蓄積される乳酸。
そして開始から約5分。そんな私の耳に想定外の音が聞こえてきた。
【ガチャ】
『(ん!?)』
しゃがみながら後ろを振り向くとドアが開いていた。そして若手の女性店員が立っている。
瞬時に私は全ての状況を理解した。
『(ぐおおお!鍵かけ忘れてたああああ!)』
痛恨のミス。
『(あああああ!!)』
尻を見られた。尻というか全てを見られた。女性店員はすぐに
『す、すいません!』
と、ドアを閉める。私はその瞬間
『だ、大丈夫でぇぇす!』
情けない声を出しながら、何故かドアに向かって左手をピンと伸ばし、親指を立てた。
伝家の宝刀《サムズアップ》だ。
【バタン】
閉まるドア。静まる個室。尻丸出しで親指を立てる私。
なんという事だろうか。こんな事あっていいのだろうか。百歩譲って洋式だったならドアを開けられたとしても、座った男と女性店員が顔を合わせる程度の構図で済む。『ああ、これはこれは。よく来たね』と言える姿である。
だが、和式は尻丸出しでしゃがんでいる所を背後から見られる。というか、背後を取られる形だ。無防備。サバンナなら致命的だ。敗北感すら漂う。
そこに追い討ちをかけるように『大丈夫でぇぇす』という痛々しい言葉。そして何故かサムズアップ。
こんな不本意なサムズアップをする日が来るとは。親指に対しても申し訳ない気持ちを感じる。
私の人生でこの時以上の不本意なサムズアップは記憶に無い。
おわり