「楽しく踊ればそれでいいの…」 映画『Shall we ダンス?』にみる「中年の危機」との向き合い方
「中年の危機」について調べていくうちに、それを扱う映画作品にたどり着いた。周防正行監督作品の『Shall we ダンス?』だ。
公開は1996年ということなので僕が16歳の時。当時からその作品の存在は知っていたが、鑑賞するまでには至っていなかった。
改めて調べてみると、同作は日本アカデミー賞を独占したのちに世界19か国で公開され、アメリカでは200万人を動員する大ヒットにもなったそう。
そのアメリカでの作品公開にまつわるエピソードを綴った周防監督の著書「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」の紹介文には、確かに「中年の危機」というフレーズが出てくる。
本のレビューなどを参考にすると著書の中で監督自身も「中年の危機」をテーマにした映画だということを語っているそうだ。
周防監督は1956年生まれなので映画公開時は40歳。メガホンを持つ自らがリアルタイムで「中年の危機」と対峙していた、なんてことも考えられる。
僕は俄然興味が湧いてきてこの映画を観てみることにした。
どうやら2004年にリチャード・ギアとジェニファー・ロペスの共演でハリウッド版としてリメイクもされているらしいが、今回は周防監督作品のオリジナル版を鑑賞した。
鑑賞前に期待していたほど「中年の危機」を押し出したような内容ではなく、あくまで背景設定としてそれが置かれていた形だが、それでも間違いなく中年の再生の物語であり、その語り口は温かな気持ちにさせてくれるものだった。
私と同じ中年層はおそらく勇気づけられる内容だろうし、決して器用ではない主人公が新しいことにチャレンジする姿勢は、それ以外の人の心にも響くものだろう。
大味と言えば大味の映画だし、演技部分で多少引っ掛かりを覚える部分もあったのだが、それを越えてグッとくるものが確かにあった。
「中年の危機」を抱きながら、僕は不格好なダンスを踊る
主人公の杉山も、杉山と一緒にダンスを始めた田口浩正が演じる田中も、躍りたいからダンスを始めたわけではなく、互いに別の目的があり必要に迫られてダンスを始めた。
ただ、それが段々と楽しくなっていき、最後には躍ることが自身にとってかけがえのないものになっていた。詳しくは語られていないが他の登場人物にも、もしかするとそういった背景があったのかもしれない。
何気なく始めたことが気付けば自分を支える杖となる。
最初は躍ることよりもダンス講師の舞に興味を持っていた杉山だが、幸運なことにダンスそのものが鬱屈とした日常から抜け出させてくれる装置となった。
音楽に合わせて体を動かすことに夢中になり、それを支えにして自分を取り戻していく杉山。
すんなりとそうなったわけではなく、舞から自分目当てでダンス教室に来たことに対してきつい言葉をぶつけられたり、家族とのすれ違いがあったりして一時はダンスを辞めたりもした。
紆余曲折がありながらもダンスにおけるパートナーシップの大切さを通して、自分の心を解いてまわりの人々との絆を築くことを学び、再び踊りと向き合っていった。
こんなことを言うと恥ずかしいのだが、正直なところ僕は画面の中で踊っているその主人公をとてもうらやましく感じた。
たぶん人生には自分を支える杖が必要で、これまでの僕にとってはそれが家族だったり仕事だったりした。友人や趣味を支えにしている人もいるだろう。
だが年を重ねると手持ちの杖だけでは足りなくなるのかもしれないし、元の杖に負担がかかり過ぎてくたびれてきているのかもしれない。
もしかすると新しい杖を増やすタイミングではないだろうか。杉山にとってきっとそれがダンスだったのだろう。では自分にとってそれは何だろうか?
映画の中で草村礼子演じるたま子先生が優しく諭すように言ったセリフが妙に残った。
「ダンスはステップじゃないわ。音楽を体で感じて、楽しく踊ればそれでいいの…」
僕は新たな杖を見つけて、これまでとは違ったステージで踊らないといけない。
何かを始めるのに遅いことはないし、正しいステップなんてどうでもいい。どんなに不格好でもいい。大切なのは頭を空っぽにして心で躍ることだ。
たぶん今の自分にはそれが必要なのだと思う。
映画の最後で杉山と対峙した舞が問いかける。
「Shall we ダンス?」
そして2人はラストダンスを躍る。スポットライトを浴び、軽快にステップを踏む。次第に2人を囲んでいたまわりの人たちも踊り出す。
それぞれが自分の人生を背負っている。もちろん楽しいことだけでなく辛いことや悲しいこと、やりきれないも多いだろう。だが踊っている時だけは誰もが等しく、その表情は晴れやかで華やかだ。
自分もその踊りの輪の中に加わりたい。そう思える映画だった。